夫婦別姓反対論の検討その2

続きます。

まずは産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/091001/sty0910010338000-n1.htm


<前略>

一時期、内閣府の調査で、夫婦別姓への法改正を容認する声が法改正を不要とする声を上回ったこともあるが、最近は、賛否が拮抗(きっこう)している。また、中高生の6割以上が「両親の別姓」を嫌がっているという別の調査もある。

<中略>

家族は夫婦だけではない。親の都合だけで考えれば、別姓で支障がないかもしれないが、子供は必ずしもそれを望んでいないのだ。親子の絆(きずな)を強めるには、やはり夫婦が同姓でいることが教育上、好ましいことは言うまでもない。

<中略>

男女共同参画社会にあって、特に女性が婚姻後も仕事を続けていくためには、婚姻前の姓を通す必要があるケースが多い。以前、自民党高市早苗氏らは、婚姻前の姓を通称として旅券などの行政文書にも使用できるようにする戸籍法の一部改正案を示した。別姓を目指す法務省案より、はるかに現実的な提案だった。

 あえて夫婦別姓を導入しなくても、夫婦が家庭と仕事を両立させるための方策は、いくつも考えられる。鳩山内閣はまず、このことに知恵を絞るべきだ。
<後略>
2009.10.1 03:38付産経新聞「主張」から抜粋
なお、強調は引用者


・・
・・・

産経新聞ってすごいですね。




ちょっと脱線しますが、
最近、ツイッターをはじめた影響で、ブログを読む機会が増えました。
ブログって本当に充実したコラムというか、論文が多いですね。


アルファブロガーの方々のブログは、
本当に秀逸なコラムです。
分量や修飾を自由に選べ、編集権も独占しているとあって、
作品としての完成度がとても高い。
それでいて、無料ですから、すごいことです。
ネットってすごいな、といまさらながら感激してます。


さらに脱線すると、私は昔の週刊文春のコラムがとても好きでした。
ナンシー関、存命中ですね。
高島先生の「お言葉ですが・・」とか、好きですね。
紙媒体の、決まった分量の色々な人のコラムが、
週に1回読める、というのも好きは好きです。


ただ、最近のテレビや週刊誌、新聞を読んでいて、
なるほどな〜、そういう考え方もあるのか、
いや論理的だなー、視点が面白いっ
などと唸ることはあまりありません。
他方、ブログでは頻繁です。




閑話休題
さて、産経新聞です。



産経新聞ってすごいですね・・。
こんなに低レベルなコラムを、堂々と掲載するんですね・・。
なんというか、論理のレベルがやばいですね・・。
あまりにも衝撃を受けたので、
投稿かと思って調べたのですが、
やはり産経自身の「コラム」のようです。
よくこれで商売になるな・・。
正直、宗教関連の新聞とかと同じビジネスモデルなんでしょうね。
同じ考え、思想の持ち主だけが支えてると言いますか。


それとも、コラムはあんまり売りではなくて、事実報道がすごいのかな。
または、自民党との結合が半端なくて、
情報たんまりもらっていたのかな。
なんせ、「産経新聞下野なう」だからね。



では、気を取り直して、検討します。



産経の主張はこんな感じ。

1.賛否が拮抗。
2.中高生の6割が両親の別姓を嫌がっている。子供は望んでいない。
3.親子の絆を強めるには、同姓が、教育上好ましい(?)
4.夫婦別姓を導入しなくても、夫婦が家庭と仕事を両立させる方策はいくつもある(?)


えーと。



1.賛否拮抗。


拮抗なら、別姓でもいいじゃん・・・。
同姓の根拠にも、別姓の批判にもなりがたいような・・。
まあ、善解するなら別姓賛成派が一時期多かったから平成8年に諮問機関答申が出たんだけど、
今は拮抗しているから答申にこだわる必要はない、ってことかな。



でも、産経の書き方だと、平成8年の答申が世論の声に圧されて作成されたのかどうか
よくわかりません。


法務省答申のくだりで書いているから、そういう考えでこの記事書いたのかな。
なら、その辺もう少し書いて欲しいです。



まあ、善解して、

昔、賛成派が多かった⇒世論に圧されて法務省が別姓容認の答申を出した。
という前提があるならば、
今、賛否拮抗⇒世論に圧された法務省答申はその前提を欠いているって批判してるってことで、
まあ話を進めるかな。


ただ、この考えは、

『世論に圧されて作られた答申(さらには法律)は、
世論が賛否拮抗になったら、変更されるべきだ、』

っていうテーゼを前提にしているんだけど、
そのテーゼは異常におかしいでしょ。



整理すると
このテーゼは、
『世論で賛否拮抗になったら、答申(法律)は、変更されるべきだ』という
わけのわからない命題を前提としている(上で書いた文章の言い直しですね・・・)。
変更って、どっちに?現状の変更?
だとしたら、同姓(現状)から別姓に変更しなくちゃなんないんだけど・・。
答申を批判したつもりだけど、ブーメランで、現状の法律の批判になっちゃうわけだからね。


つまり、


『(平成8年の)世論に圧された作られた答申は、
世論が賛否拮抗したから、廃止されるべきだ(答申に依拠されるべきではない)』


という論理の流れってさ、



『(戦後の)世論に圧されて作られた法律(現行民法)は、
世論が賛否拮抗したから、(別姓に)変更されるべきだ』


という論理の流れと
全く同じになっちゃうわけで、
その論理の杜撰さが浮き彫りになる。



そもそも
『世論に圧されたら答申(法律)は作られるべきだ』という世論至上主義になっちゃうし。
なんというか、あんまり法律の議論をするときに、
世論調査を重視すべきじゃないと思うよ。
論理の流れや政策の実現性などで議論して、最後に世論調査を持ってくるべきで、



世論がこういってるんだから、ほらミロ正解はこれだ、フフンっ、


みたいな「思考」はできるならやめて欲しい。

世論調査が当てにならないから」

ではなくて、


思考停止だから。
というか政治放棄だから。
死刑の問題もそう思います。
一つの考慮要素にしてもいいけど、
「世論」が言ってるからこうすべきだ、ってのはやめて欲しい、
そろそろ、少なくとも「世論」を形成しているメディアには。





気を取り直して

2.子供の話。


これもさ、、

「中高生の6割以上が「両親の別姓」を嫌がっているという別の調査もある。」

って言われてもさ、
どこのどんな調査なのかもわからないし、
どの中高生に聞いたのかもわからないし、
「嫌がっている」ってわけわからないし。



「両親が別姓の」中高生に聞いたのかな。
そうだとすると、「嫌がっている」ってのはわかるね。
現状では、やっぱり両親が別姓ってのはいやなんだろうね。



ただ、全く関係ない中高生に聞いてるんだとしたら、
「嫌がっている」って、何を?
友達の親が別姓であること?
自分の親が別姓であると想像したら?
自分が親だとしたら?



全く以ってよくわからん。
しかもまた「嫌がってる」って・・・。




まあ、「自分の両親が別姓であるとしたら」かなぁ。



さて、まず前提を固めなければならない点で批判するのも大変なコラムですが、
善解して、論理の流れとか根拠としている事実とかの前提を補って話を進めても、
この主張はおかしいと思う。



産経の論理は以下。

子供が両親の別姓を嫌がっている⇒両親の別姓はよくない。⇒別姓は禁止すべきである。


シンプルなラインですね。

応えてシンプルに批判します。
では、なぜ子供は両親の別姓を嫌がるのでしょうか。
はい。
「別姓が禁止されているから」ですね。


つまり、論理がぐるぐる回っているわけです。
ふむ。


私の理解はこうです。


別姓が禁止されている
⇒両親が別姓ということは、離婚か、事実婚か、少なくとも「普通」ではない。
⇒自分の両親が普通ではない、ということを子供は感じる、
 又は、それを感じ取った異質排斥主義的子供コミュニティーでいじめられる
⇒両親の別姓を嫌がる。



違うかな、中高生の6割さんたち?





なお、ありうるほかの論理の流れとしては、


夫婦別姓は家族制度を崩壊させる良くない制度だと中高生は感じ取っており、
だから中高生の6割は夫婦別姓を嫌がっている」
という論理がありえるかもしれないけども、
まあ、普通に考えて中高生、とわざわざ区切っているんだから、
そういった大所高所の一市民という意見主体としてではなく、
子供意見の代表として捉えられているはずだから、
この論理はさすがに前提としてないかな。




3.さて、

『親子の絆(きずな)を強めるには、やはり夫婦が同姓でいることが教育上、好ましいことは言うまでもない。』という文章について。


文章がちょっとよくわかりません。
親子の絆と教育上ってのが同義?
「親子の絆を強めるには、夫婦が同姓でいることが、好ましい」
この文章はわかった。


「教育上」ってのがよくわからんのだよ、文章構造上どこに入るか。


まあいいや。


教育上好ましいかどうかの論拠がないのでよくわからないけど、
多分2で書いた中高生の6割が嫌がっているからだと思う。
で、そこの批判はもう書いたから、ここでは書かない。


いずれにしてもさ、「今の」状況なら夫婦別姓はそりゃ好ましくないと思われるさ。
「普通でない」状態だからね。
それを「普通」にしようという制度を批判する際にさ、
こういう批判を書くって、本当に想像力がないんだね。
制度が変わったらどうなるか、想像せずに批判しているんだね。
そりゃ自民党「しか」支持できないわ。
他の状態は想像できないんだもん。
そりゃフジテレビがホリエモンを追い出すわ。



さて、4.女性の仕事の話。

これは論理があるだね。

つまり、別姓賛成派の論理を批判しているだね。
こういうことだね。


『妻が仕事で旧姓を使いたい。旧姓の業績が無になっちゃって損失だ。
⇒だから夫婦別姓を認めよう。』
って別姓賛成派の論理に、



前提は認める
⇒でも別姓以外の方策もある


って批判をしているわけだね。
そうだね。


これは一つの批判だと思います。
産経が考えたわけじゃなくて、高市さんたちが出してたんだけど。



さて、
少なくとも旧姓でも仕事を出来るように、
行政なり法律なりで変えなきゃいけない、という限りでは同意します。
ただ、これをやれば、別姓にしなくてもいいじゃん、ていう理由としては同意しません。



なぜなら、
「仮に法律が旧態依然としていて別姓を認めてくれないなら、
頼むから少なくとも行政上旧姓も使わせてくれ」
という苦肉の策として高市さんたちが出した案だ、これは。



必要性が強い部分から何とか現状とすりあわせをしていこうという案です。
その案が出てきたことを以って、だから、別姓はいらんだろ、とはならないと思います。



そもそも私にとって、
同姓義務反対の理由は、
何で国家が人の姓を変える義務を押し付けるのか、
という点にあります。
仕事で別姓が使えるからいいでしょ、と言う話ではありません。



別に
「国家からの義務なんてゼロがいぃわぁ。納税もなくして欲しいわぁ」
「共同体なんて要らないぁ。個人が全てだわぁ。」とか言っているわけではなくて、


また、同姓にしたほうが、家族の絆も深まる、とか
情緒的な必要性を感じる人がいることも否定するわけではありません。
実際そうかもしれません。


ただ、「選ばせりゃいいじゃん」ってことです。
同姓にしたほうが絆が深まると思う夫婦は同姓にしたらいい。
別姓にしたほうがむしろ深まると思う夫婦は別姓にしたらいい。


絶対同姓のほうが深まるから同姓にしなさい、とかチャンチャラおかしい。
結局別姓反対派の人って、
『自分の考えるベストの家族は、夫婦が同姓である』
『夫婦が同姓でない家族は不幸になる』
『家族の絆が崩壊する』
『伝統が崩壊する』
だから、『全員同姓にすべきである』という論理の流れなんだよね。


年金をどうするかっ
とか、
北朝鮮にどう対応すべきかっ
とか、
核は持つべきだっ
とか、
裁判員制度には反対だっ
とかは、
その主張が公的な主張なので、そして自分にも他人にも影響することなので、
つまりは政治的に判断する必要があるテーマなので、
自分の見解を強く主張し、社会をその方向にもって行きたい気持ちはわかる。



でもさ、家族がどうあるべきかって、各家族に基本的には任せたらよくないか?
なんで人の家族に口を出すの?絆とか、大きなお世話じゃない?
まあ、子供に悪いとか、教育上よくないとかなら、社会的っぽいからまだいいけどさ。



別姓にすることで、
国が貧乏になるとか、
犯罪が増えるとか、
コミュニティが崩壊するとか、
なんかそういう公的な理由があるなら、議論に値すると思う。
でも、「絆」とか「家族の一体感」とかならほっといてよ。
自分自身の家族の「絆」とか「家族の一体感」を高めることに全力尽くしてよ。


『法は家庭に入らず』だよ。



よく言われていることだが、
明治以前は夫婦同姓なんて制度はなかったし、
海外にもないほうが多いくらいだろうし(正直アフリカとかちょっとわからない)*1
なんでそんなにこだわるんだろうね、という感じだ。



ま、というわけで、

産経新聞に対する批判は終わり。


比較的楽でした。



次回は、もう1人の「神名龍子」氏のブログを題材にしたいと思います。
というか、もう少し自分自身納得できる反対派のブログをもう少し探したいと思います。




では、また。

*1:こんなのがありました。とても詳しくて助かります。http://www.mizu.cx/minpo/siryo01.html