夫婦別姓反対論の検討その1

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090930-00000103-mai-pol
さて、夫婦別姓です。


私は、選択的夫婦別姓に賛成です。
積極的にというものありますし、反対する理由が見当たらないからというのもあります。


私は自分の苗字が気に入っているので、
結婚しても自分の苗字を希望しています。


そして、相手も自分の苗字が気に入っていて、
結婚しても自分の苗字を希望している、
という場合に、
どちらかが必ず折れなければならない、ということを
なぜ国や他の人に強制されなければならないかが、
わからないからです。


あるとしたら、結婚は法制度であって、
当該法制度を利用する以上当該法制度のルールに従うべきだ、
という論調かなぁ。


でも、これって、当該法制度のルールを変えれば、
それでいいだけの話になります。、
現状法制度では夫婦別姓を貫きたい人が法律婚ができないということを正当化するだけで、
法制度を変えることを否定する論拠にはなりませんね。





結婚は社会的なものであって、そんな覚悟もないなら結婚するな、とか
結婚するということは共同体を形成することだから、とか
結婚制度を両人のわがままで決めてはいけない、とか
結婚とは家にはいるものだから、とか


色々反対説があるでしょうが、
今ひとつ納得感がないので、
とりあえず「夫婦別姓 反対」でググって見ました。
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%88%A5%E5%A7%93%E3%80%80%E5%8F%8D%E5%AF%BE&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&client=firefox-a


反対派が説得的だったら、変節するくらいの別姓賛成論者です。



さて、


まず、ぱっと飛び込んできたのが、
「いい加減にしろ、夫婦別姓
http://www.ittsy.net/academy/library/200207xx-Voice.htm

題名、完璧。まさにこういうのを求めていました。
というわけで、まずこれを検討したいと思います。






次に、おっと、小さい表記ですが、さすがの産経新聞
ツイッターでの事件は唖然としましたね。
これも取り上げます。
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/091001/sty0910010338000-n1.htm
新聞記事は一月位すると「見当たりません」とか出てくるので、
後ほど要旨を抜粋したいと思います。






最後に「ジェンダー素描 やっぱり反対、夫婦別姓」というのも、
わかりやすそうなので、検討したいと思います。
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign69.html




とりあえず、こんだけありゃ、大体の反対論は把握できるのかな・・。










まず、「いい加減にしろ」の論調。
うむ、長い・・。


<前略>
そして、どちらの姓にするかは、双方の家族の状況に十分留意しつつ、両性の合意によって決めるのをよしとする。理由は二つある。

一つは、夫婦および家族における姓の統一ということは、夫婦の一体性を象徴する重要な「儀式的行為」のひとつであって、これを尊重するのは、自我というものが、単に個人の内閉的な欲求や意志によって成り立っているのではなくて、自分の欲求や行為(この場合には固定的な性愛関係の樹立)の社会的な承認をみずからに照り返させることを通してのみ、その自立と安定を確認できるという、人間論的な原則によっている。


<中略>


 そしてもう一つは、生まれてくる子どもの問題である。すでに、多くの別姓反対論者が指摘しているように、別姓を認めると、子どもの姓をどちらにするのかをめぐって夫婦間で複雑な心理的トラブルを起こしやすいだけではなく、互いの実家との間にも紛争の種をまきかねず、さらに子どもが複数の場合、兄弟姉妹で姓が違うという不自然な結果を招く可能性もある。子どもに与える心理的な悪影響も大きいし、法律上、行政上の手続きもやたらと煩瑣になり、そのためのコストも馬鹿にならない。


<中略>

婚姻時に「第三の姓」を選択する余地も与えるべきだという意見もあるが、ひとつの見識ではあるものの、やはり煩瑣にすぎ、当面の日本人の生活心情に適合しないと思う。ことに現在は長寿社会であるから、親子の断絶感をもう一つ増やすことになってあまり望ましくない。現行制度のままならば、妻方か夫方のどちらかが我慢すればすむ話である。
また、好きになった相手の姓を名乗りたいという心情の持ち主も少なからずあることも忘れてはならない。


<後略>
[引用]
http://www.ittsy.net/academy/library/200207xx-Voice.htm(H21.10.1)
『いい加減にしろ、夫婦別姓wikipedia:小浜逸郎 なお、掲載誌:Voice(2002年07月号)
また、強調は、引用者。



さて引用が終わりました。


反対の理由は以下の感じでしょうか。
1.姓の統一は夫婦の一体性を象徴する重要な儀式的行為である。これを尊重するのは人間論的原則だ。
2.生まれてくる子供に深刻な心理的なトラブルをもたらす
3.どちらかが我慢すればすむ。
4.好きになった相手の姓を名乗りたいと言う心情もある


他の文章は、概ねフェミニスト批判や、個人絶対主義批判といった内容です。
ちなみに引用部分以外の点は、夫婦別姓論の現状を説明していたり、
家族論・結婚論などを記載しています。
それらの部分は、私の考えとは違う部分ももちろんありますが、
論理として概ね説得的でした。






で、1から4の反対の理由についてですが、、、
うーむ、やっぱり全く納得感がわきません。


1.ですが、まず、そもそも姓の統一を制度として捉えていない国の夫婦は?
というあまりにもあっさりとした疑問がわいてきます。
夫婦の一体性が統一出来ていないとでも?
これを尊重していないから、人間論的原則に反しているとでも?
「文化論的原則」と言うのならまだ論理としてわかるのですが、
「人間論的原則」ですからね・・・。すごい表現です。




むしろ夫婦別姓前近代的で、夫婦同姓こそが近代個人主義的だ、と主張しているので、
なおさらよくわかりません。





「自我というものが、・・・確認できる」、ものであるというところまでなら
まだ1人の説としてなるほどね、と思うことも出来るのですが、
それと夫婦同姓をリンクさせると言うのは、我田引水というか、、
自分の説を自分の説とリンクさせているので、我田引水でもないですね。






もっといえば、
「あなたは結婚及び姓の統一をそのように考えるかもしれませんが、
私は全くそのように考えません。
かつ、その点については、議論することによって答えが出たり、
意見が統一されるものではありません。
あなたがそのように考えるのは否定しませんが、
なぜあなたの考えに基づいて、私たちはどちらかの姓を選ばなければならないのですか」
という疑問にはどう応えるのでしょう。





儀式であれば、姓の統一でなくとも、何でもいいような気がします。
結婚式であっても、記者会見であっても、ブログで発表でも、
婚姻届の提出でも。
姓の統一でなければ儀式たり得ない、という考えは、
つまり姓は極めて社会的な道具であって、
自分のものではない、社会のものだという考えが根っこにない限り、
論理的に結びつかないと思います。




しかし、この考えは、
「お前の名前は社会にとって読みにくい、書きにくい、呼びにくいので、改姓しろ」、
もっといえば、
「お前の名前は日本人らしくないので、また、日本の戸籍制度にあわないので改姓しろ」
という発想と根っこは同じなのだと思います。




ほら、どこかで聞いた話だと思いませんか。




この人の「1」の主張は、そしてこの後検討していきますが、
多くの夫婦別姓反対論者は、というよりも夫婦同姓義務化論者は、
実質的には「当時の発想」と同じ考えに立っているのだと思います。




なんていうかさ、何で人のことにこんなに口を出したがるのかね。
いや、なんとなくいやだとか、呼ぶときにめんどくさいとか、
夫婦は同姓であるほうが美しい、という考えを持つことは別にいいんですが、
そして、自分の子供とか親戚とかに正月に口を出すくらいならいいんですが、
なぜ、国の制度として維持することを強硬に主張したがるんですかね。
なぜ、人に、「強制」したがるのかね。










さて、2です。
夫婦間で複雑な心理的トラブルを巻き起こすし、
兄弟で姓が違うとか子供がかわいそう。

・・
・・・


まず、身も蓋もない批判をしますが、
夫婦別姓と、子供の姓の問題は、全く別物です。


夫婦別姓を法的に認めること」と、
「子供の姓は(例えば)必ず父親姓にしなければならないこと」
は完全に併存します。


ここをごっちゃにしちゃうと、
夫婦別姓を法的に認める⇒子供の姓がばらばらになっちゃって大変だ、
という論理の流れを前提としてしまうので
あまり批判することもないんですよね。
その前提にそもそも乗らないので、わたくし、と言う感じで。


子供の姓がばらばらになっちゃって大変だ
⇒うん、じゃあそのための方策を考えよう、夫婦別姓の下でね。

という論理の流れになるだけなんですよね。


つまり、夫婦別姓の批判たりえないと思うのですよ。



まあ、でも、少し批判を敷衍すると
夫婦同姓を強制することを許容するような意見をもってんだからさ、
子供の姓をどちらかの姓にすることを強制すりゃいい話なんじゃないの?
まあ小浜氏は、姓の統一は夫婦の一体性を象徴する重要な儀式的行為と捉えているから、
夫婦同姓の強制と、子供の姓の強制は別レイヤーなのかも知れないけどさ、
一応、二つの理由を別々に書いているので、論理独立した理由として、
論理独立に批判します。
夫婦は自分で選択したからどちらかの姓になることを、
法により強制されるべきだけど、
子供の姓はまた別の話だから、法により夫婦どちらかの姓に強制することは出来ない、
ということですかね。



次に、
子供の姓を選ぶときに夫婦が複雑なトラブルを抱えると。
この考えは、夫婦の姓はどちらの姓を選ぶかは現行でも選択的ですが、
姓の選択の場合には夫婦間で複雑なトラブルが表面化しないことが前提となっています。



何で?

夫婦の同姓が強制されているんだから、
そんで、子供の姓は強制された姓になるに決まってるんだから、
今でも結婚の際に複雑なトラブルを抱えるはずじゃん。
何で夫婦別姓を選ばせると、夫婦はそこではじめて複雑なトラブルを抱えるのでしょうか。



おそらく、この方は、現行法は近代的だ、姓について選択的だ、
女性の姓だって多いではないか、というようなことを書いていますが、
現実的には男性姓がほとんどであり
民主党によると96%:http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/01.html)、
結婚の際に男性姓にしても、複雑なトラブルとならないことを暗黙の前提としています。
まあ、慣習頼みですね。


逆に言えば、そこを認めると、確かに夫婦別姓を認めると、
子供の姓をどちらにするかと言う点で、一つトラブルが生まれるかもしれません。
ただ、これはルール化すればいい話です。
結婚のときに、子供をどちらの姓にするか事前に決めておけばいいんじゃないの。
今なんて結婚するときに、どちらかが姓を変えることを強制されてるんだから、
子供の姓を決めておくくらいなら、漸次的な制度設計としてありでしょ。
極論すれば、他にも色々ありそうだけど。


少なくとも、夫婦別姓反対論者の論拠とはなりえません。
夫婦の同姓を強制しといて、子供の姓を強制するのは反対と言うのは、よくわかりません。



兄弟で姓が分かれる、ってそうしなきゃいいじゃん。

と言う感じです。




少しだけ子供の姓について敷衍します。


まず、夫婦別姓論」と、「自分の姓は自分で自由に選ばせろ論」は、これまた別です。



別姓論の骨子は結婚を機にどちらかがなぜ自分の姓を変えなければいけないの?
と言う点にあるわけで(多分)、
姓の選択権を与えよ、と言っているわけではありません。
つまり権利を求めているわけではないのですね。
義務を免れたいと言っているわけです。
結婚とともに、どちらかが姓を変えなければいけない義務、です。




で、子供の性の問題と言うのは、この議論が混濁しがちです。
私の姓は、私が選んだわけではありません。
ですが、人生ずっと使ってきたものです。
ですから、勝手に変えられることに我慢がならないのです。
自分の姓を自分で好きに選ばせてよ、と言っているわけではないのです。



で、さらには、一つのルールとして父親姓を強制しても、まあいいと思います。
もちろん、現在の法制度でも結婚の際、夫婦のどちらの姓を選ぶかは自由なわけで、
子供はその姓に自動的になるのですから、
子供の姓もどちらかを夫婦が選べるようにしたほうがベターだとは思います。

ただ、子供の姓が家族の一体感を、うんたらかんたら、と言うのなら、
そして慣習がどうのこうのというのなら、父親姓に強制してもいいと思います。


子供の姓を持ち出して、夫婦別姓論を批判するのはおかしい、ということです。
論理が一貫しないと言うことですね。






長くなりました。

3、4はあっさりと。


「どちらかが我慢すればすむ」


ふむ。

夫婦別姓は必要だから維持しよう、どちらかが我慢すればすむ。

そこそこ必要だから莫大な借金で道路を作ろう、子供が我慢すればすむ、
既婚男性は生活で大変だから、給料は高めにしよう、若者と女性が我慢すればすむ、
過剰収用で耐え難くても、ホースで水をぶつけられても、犯罪者が悪い、受刑者が我慢すればすむ、
犯罪被害の補償制度がなかったとしても、被害者が我慢すればすむ、
混合診療保険診療として認められなくても、病人が我慢すればすむ、
介護は在宅を基本としても、介護者(例えば「嫁」)が我慢すればすむ、
消えた年金を洗い出すのは大変だからやめてしまおう、老人が我慢すればすむ、
テロは怖いから、入国者からは指紋を取ろう、外国人が我慢すればすむ、
道がおしゃれになるから石畳にしよう、障害者が我慢すればすむ。


ふむ。



4.

うん。名乗れば。好きな人の姓に変えたいなら、名乗ればいいさ。
うん。それだけ。



ふう。
1人おわった。

ちなみに、反対論者の意見を見てみたかっただけで、
そうしたらたまたま小浜氏のブログがほぼトップに来ただけであって、
そんで偶然素材にしただけであって、
全く小浜氏には悪意はありません。


自分のブログは匿名だし、匿名で人の批判はしないようにするつもりだったのですが、
つい、勢いがついてしまいました。
うむ、実名も検討せねば。


文章はわかりやすいし、結婚とか哲学的に考えていて、面白いと思います。
まあ、ウィキを見る限り有名な人みたいだし、実名ブログを書いているので、
批判いたしました。
こちらは匿名なのに、失礼しました。


相変わらずおもったよりも長くなりました。
次回に続きます。


では、また。