座右の書

ランニングを始めたこともあって、
月に1回くらい村上春樹「走ることについて考えるときに・・」を読む。
ランニングと仕事に対する心構えを考えるきっかけを与えてくれるので、
頻度からいっても、大げさに言えば座右の書になるのだと思う。

でもさすがに人生の座右の書とは言えない。せいぜいここ2年だ。
というか人生を通じた座右の書なんて絞り切るのは難しい。
けれども人生のときどきで、座右の書的なものはあるように感じる。
そんなわけで振り返ってみた。

【小学生高学年】
あまり記憶がないけれど、小学校の図書室でルパンとホームズを全シリーズ読んだような気がする。
気のせいかもしれない。
内容はほとんど覚えていない。
挿絵もほとんど覚えていない。


【中学生】
祖父から勧められて小説十八史略を読んで以来、歴史ものを集中して読んだ。

小説十八史略(一) (講談社文庫)

小説十八史略(一) (講談社文庫)

ただ、今振り返ると読んだ内容はぼんやりと覚えているけど、
著者が誰だったかよく覚えていない。
ハードカバーの挿絵しか覚えていない。
三国志吉川英治だったと思う。
三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)

三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)

項羽と劉邦司馬遼太郎だったと思う。
項羽と劉邦(上) (新潮文庫)

項羽と劉邦(上) (新潮文庫)

あとは、
秀吉(山岡荘八堺屋太一か思い出せない)、前田利家(たぶん津本陽だったと思う)、
織田信長徳川家康(いずれも誰のものか思い出せない)、
太平記(これは覚えている。吉川英治私本太平記だった。)、
真田幸村関連(池波正太郎だったと思う。)
なんかを読んだ。
というわけで中学生の読書キーワードは歴史だった。
この時代の読書体験で、倫理観とか人生観の礎を得たかもしれない。


【高校生】
色々よんだと思う。
でも、記憶に残るテーマを上げろと言われれば、麻雀放浪記しか思いつかない。
全シリーズ繰り返し読んだ。


【大学生】
入学時にテーマを決めた。岩波文庫をできる限り読むというテーマだ。
悪くはないがありきたりなテーマだ。
もう少し柔軟に大学時代をとらえてもよかったかもしれない。
あと、岩波文庫は外国語の訳が機械的なものが多くて、いま読み返すと堅苦しい
とはいえ時間があるときにある程度つぶすことができてなんだかんだで良かったと思う。

自然発生的に座右の書のポジションを得たのは、なんといってもナンシー関だ。
高校時代から父親が家に持ち帰る文春を隅まで読んでいたけど、
大学になって自分で買うようになって、好きなコラムの著者の本を個別に求めるようになって、
完全に座右になったのがナンシー関だ。
たぶん、文庫は全部買った。
シニカルな考え方をするようになった気がする。


ロースクール時代】
単発的なものを除くと法律の本を読んだ記憶しかない。
法律の論文や判例評釈が面白いことに気付くことができた。
社会学の論文やハードカバーを読むことができるようになった。
ニュートンの定期購読を始めたのはこのころだった。


【修習時代】
村上春樹と遅まきながら出会って、
熱中したとまでは言わないけれど主要な作品を大体読んだ。
人生に落ち着きと現実感を与えてくれた気がする。



【弁護士時代】
完全に乱読。
全然テーマ性がない。
あえて言えば経済モノを読むようにしている。
最近読んだ本で印象に残っている本はと問われても、
すぐに出てこないくらいになっている。
よくないな。
あ、半藤一利昭和史はおもしろかった。
全体的に実務的な人間になっているのかもしれない。
とはいえ弁護士業はどんなジャンルとも関係するのでありがたい。
仕事と関連する本を読むだけで、自然と乱読になる。


まとめると、小学校で非日常的なものが好きになり、中学校で歴史ものが好きになり、
高校でギャンブルが好きになり、大学で意識的に教養を身に着けようとしながらシニカルな考え方をするようになり、
ロースクールで法律を学び、修習で社会に出る心構えを学び、弁護士になって実務家になろうとしている。
概ね間違ってない。食べたもので体ができて、読んだもので心ができる。


ではまた。

自民党改憲案について

自民党の改憲案については、もちろん色々と思うところはあるけど、
それよりも改憲案について法律家がツイッター上で繰り広げるコメントに違和感を抱く。
草案内容や起草担当議員を嘲笑する議論は意味がない。

立憲主義とか自然権とか消極的自由とかは多くの人の肌感覚からずれつつある。
関心を抱かれていない。明らかに揺らいでいる。
自分の人生を顧みても、
人格的自律に係わる「自由」の危機を肌感覚で味わった経験がどれほどあるか。


電車の中でマナーの悪い人間がいたり、
攻撃的な態度を取る上司がいたり、
読めない名前を付ける親がいたり、野山が少なくなったり、
隣近所と挨拶をしなくなったり、父親の威厳がなくなったり、
隣国から領土問題で挑発されたり、ロケットを飛ばされたり、
具体的にイメージしやすくて、いやだなと感じると思われやすい問題はたくさんある。
これらの問題を個々人が自力で解決することは不可能に近いから、
誰かが上から押し付けて力づくで解決するしかないという気持ちになる。
「誰か」。つまり国だ。


憲法が自由を至高の概念として持ち上げて、
そのせいで、自由の延長として「わがまま」を言う人が増えてきていると考える人がいる。
自分自身は「わがまま」を言えないから、言いたくないから、言うべきじゃないと思うから、
自分以外の人たちも、「わがまま」を言うべきじゃないと感じる。
そのためには「自由」に歯止めをかけるべきだ、
人の迷惑も顧みさせるべきだ、
社会の一員としての責任を感じさせるべきだ、
我慢をしている自分と同じように。
そのためには自由を至高の概念とする憲法は見直す必要がある。
こうして憲法を改正するべきだという声が高まる。


表現の自由が侵害されて言いたいことが言えなくなったり、
監視社会が実現されてしたいことができなくなったり、
そんなことはイメージしづらい。
絵空事だと思うし、SF小説だと思う。
そのために社会が活力を失って、
だんだんと生活が窮屈になって、、、なんてことは現実に生じてから考えればいいやと思う。


生活にじんわりとした焦燥感が高まれば、
打開するためにわかりやすい目標が欲しくなる。
我慢して頑張っていてまじめに生活している人ほど、
「悪者」を「正して」一気に解決を図りたくなる。
かつてはうまくいっていた今までのやり方を貫いているのにうまくいかないときとか、
将来をぼんやり思い浮かべたときによりよくなっている姿が想像できないときとか、
自分は悪いことをしていないのに挑発されたり傷つけられたりしたときには、
どうしてもそういう気持ちになる。


この気持ちを無視して自民党改憲案を嘲笑しててもはじまらない。
起草担当者が立憲主義という言葉を知らなかったとしても、
片山さつき芦部信喜先生の直弟子と言ったとしても、
改憲の動きは止まらない。
啓蒙思想の否定となることや、
近代法治国家の理念と食い違っていることを指摘しても、
彼らが歩みを止めることはないだろう。
彼らは政治家だから、社会のバックボーンがないならば、あれほどの改憲案を正面から提示はしない。
あの改憲案には少なくない支持者がいる。


仙石由人は「自衛隊暴力装置」と言ってマスコミからたたかれた。
他方で自民党は正面から「国防軍」と言う。

97条の憲法最高法規性条項を削除し、
18条の奴隷的拘束禁止条項を社会的・経済的な身体拘束禁止条項に書き換え、
36条の拷問・残虐な刑罰の絶対禁止条項を相対禁止条項に変える。
国民に、憲法擁護義務を課す。


正面から堂々と、自信を持って、目に見えて声が聞こえる支援者とともに、
彼らの世界観を打ち出してきている。
反対するならば、正面から自分の世界観を打ち出す必要がある。
相手の世界観をバカにするだけでは太刀打ちできない。
覚悟が必要だ。


はっきり言ってとてもしんどい。
自分の仕事で日常は手一杯だ。
それに、世界観を正面から出すことは少し恥ずかしい。
それが理想主義的であればなおさらだ。
自分の世界観を友人に酷評されることもある。
とても傷つくかもしれない。


でも、気合いを入れなければまずい。
自分の生活とか人生に、少なからず関係してくることだから、
自分の生活とか人生を、少しだけ割いて、
自分の世界観を打ち出していく必要があるのだと思う。


私は自民党改憲案に反対です。


ではまた。

マラソンを走りました

当たり前のことですが、フルマラソンを走っても人生に変わりはありません。
目標としていた5時間を切ることができました。
今後、一つの出来事で人生が一変するようなことは、自らの大病か戦争か、近しい人間の死以外にはないのかもしれません。



一つの映画や一つの言葉で気の持ちようが変わることがあります。
気の持ちようが変わるということは、人生が一変するということなのかもしれません。


10年前は自信に満ち溢れ、自らが日々成長していることを実感し錯覚していました。
30を超え生き方はどんどん保守的になり、かつての自分が想像もできなかった人間になりつつあります。
そのことを肯定的にとらえれば改めて人生を歩み始めることができる気もしますし、
他方でそのことを否定的にとらえもう一度自信に漲り何者にもなれると思う気持ちを取り戻すことが大事なようにも思えます。


ジョギングやサイクリングをしなければ体と心に力が湧いてきませんが、ジョギングやサイクリングをするだけで体に力は湧いてきます。
10年前の気力と向こう見ずと取り戻したいと思うときもありますが、10年後の自分から見れば現状こそが取り戻した心身なわけで、
いわゆる一つの Never too late to start something desu。


今日はここ数か月でまれに見るほど力が湧いてくる日ですが、その要因はたくさんの睡眠と適度な運動と、懸案の起案を片付けた爽快感。
陽気とアルコールも加えた方がいいかもしれない。
どれかが欠ければ気力は漲らず、つまりはどれも欠いてはいけないように思えます。


ここ3日間で4本の映画を見ました。移動中と合間の時間(トイレ含む)にipadで映画を見る習慣を身につけました。
文字ばかりに費やしてきた人生の文化的時間をこの調子で今後は映像にシフトしたいと思います。



三島由紀夫は、深夜にしか小説を書かなかったそうです。嘘か誠か知りません。父親から習いました。
嘘か誠かわからないような話を注ぎ込む父親になりたいものです。



ではまた。

今年も目標はランニングです。

I found a solution of problem of my life.
I have become to believe in a religion.
In short,i took a step to be a runnner.


皇居をぐるぐる走っていたら冒頭の構文を思いついたので年初のブログを英語で書いてみました。

1月も半分がすぎました。
昨年の目標はランニングでした。
週に一度のペースを一年間、おおむね守ることができました。

今年も目標はランニングです。
今年は月に80kmの走行と年に一度のフルマラソンを目指しています。

現時点で1月の走行距離は55kmですので気を緩めなければ目標を達成できそうです。
また4月に開催されるフルマラソンに登録する予定です。


走る間はほとんど何も考えません。
疲れや痛みを頭から消し去るために同じリズムで呼吸をしたり一つの明かりを見続けたりして心を整えることに集中します。
走り終えたあとの少しの間ですがガチャついていた心はヘソの下まで落ちてきます。
お酒の量も減ります。体重も減ります。

走ることで何かを変えることができるのではないかという、割安で効果の漠然とした宗教に入信したわけです。

人生のあらゆる問題を解決しうる方法が存在しないことはあらゆる意味で自明ですが、それでも求めることをやめない時点で私は理知的ではない人間であり、だからこそたやすく入信することができたわけです。

今年はとりあえず信心を絶やさず一年間走り続けて、それからまた別の宗教を探してみたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ではまた。

少しずつではなく、偶然にではなく。

最も幸せなのは、心の赴くままに文章を書いているときだ。
頭を唸らせずに文章を書ける状態にあるときは、人生に肉薄している気になれる。
私の人生のテーマは人生を自分のものにすることで、そして人生に肉薄する機会は文章を書くことでしか得られない。

私はガチャガチャした人間で、机も部屋もきたないし、歯を磨きながら本を読むし、テレビを見ながらランニングをするし、のべつくまなく喋っていて、ときとところに振り回されて、感情はぶらんぶらんと振れまわる人間だ。

文章をすっと書けるのは、ガチャガチャした頭とぶらんぶらんとした心がフッとかち合って、うまく対話ができているときだけだ。
週に一度もやって来ないし、やって来てすぐに書かなければ、心臓が動いている間は必ず相手をしなければならない別の人生の何かに邪魔されて、消え失せる。


最近でこそ滅多にないラッキーハプニングになりつつあるが、数年前はもっと頻繁に訪れていたと思う。
でもそのときは、それが人生を手篭めにする大事な機会だとは思わずに適当に浪費をしていたのだから、他の人生の真理と同じように、今更言っても仕方ないことだ。


今年は、いままで少しずつ溜め込んできた人生の多くを、意味もわからずに、ことあるごとに手放してしまったから、人生を自分のものにする作業を来年は一から始めなければならない。

もう少し丁寧に言うと、いままでは自然に生きていればある程度人生に近づくことができていた。
でもそれは人生が向こうから近づいてくれていたからで、人生がそっぽを向きつつある時期と、このままでは本当の意味で人生を自分のものにすることができないことに気づかされた時期が重なったということなのだと思う。偶然ではなく、当然のこととして、有難いことに。

気づかされたときは、徹夜で書き上げた準備書面がpcのクラッシュのせいで消えてしまったときのように、何もしたくなくなる時間が短くなかったけれども、いままで近くにいた人生の香りを思い出しながら、少しずつ、今度は主体的に、書き始めようと思う。


まずは掃除とランニングかな。


ではまた。
良いお年をお迎えください。

戦うか諦めるかの二択なのか。

生きていれば摩擦が起きて、我を通そうとすれば反発が起きて、他方で悩んで縮こまれば心はどんどん内向きになる。
表に立てば能力のなさをあげつらわれ、能力をつけるためには日々淡々とした努力が必要で、努力に疲れれば休みたくなる。
ひとたび休むと改めて動き始めるのに倍の労力がかかり、動き出す為の労力を体内に蓄積させる為には動き出さなければならない。


不幸せなソクラテスと幸せな豚のどちらが良いかは正直なところ分からないけど、不幸せな豚はどちらにもなれないからこそどちらに対しても羨望の気持ちを抱く。


不幸せと幸せの基軸をまぜっかえさなければ窮屈だ。
戦うか、諦めるかの二択しかないのか。
戦うのもいやだ、諦めるのもいやだなどと言っていれば、結局諦めきれずに諦めることになる。

自分と社会のどちらに不満があるのか分からないが、不満を抱えていると動きが鈍い。

楽しさと安楽さのどちらも望むといつしか安楽さが失われてしまう。

戦わない自分には嫌気を覚え、けれども弛緩させるアルコールとぬくぬくとした布団を強く好む。
ほどほどに戦い、ほどほどに諦め、ほどほどに楽しく、ほどほどに安楽な生活を求めることは、甘えなのか至道なのか。


戦うか諦めるかは早くに決めないとずるずるどっちつかずになる。
前者は資格の問題で、後者は覚悟の問題で、どっちも結構苦手な分野だ。

特に何があったわけでもありませんが大まかな人生のテーマでもあり、地震原発事故と私生活の変化を経たここ半年のテーマです。

ではまた。

毎日新聞の記事に、欠けている視点

以下の記事を読んで違和感を抱きました。

http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110719k0000m070107000c.html
(リンクが消されることが多いので、文末に転載します)


>亡くなった女性は再び避難することへの不安を募らせていたという。

>急激な過疎化でまちが消えるのではないか。市民たちは本気で心配している。

細野豪志原発事故担当相が2日に福島県を視察し、避難準備区域の指定を近く解除する考えを表明。
・・解除は歓迎したい。問題はそれで避難者が帰ってこられるかだ。

桜井勝延市長は5日、「子を持つ親たちは非常にナーバス(神経質)だ。東京でさえ沖縄まで避難する人がいる。低線量だと申し上げてもなかなか戻れないだろう」と語り、楽観していない。原子力災害において、政府が一片の「区域解除」を宣言したところで、すぐに人が戻ってくるとは思えない。

>土壌除染や医師が大量退職した病院の全面再開など、避難者が戻る条件整備に国は真剣に取り組む責任がある。それを怠れば、まちの消滅という市民の不安は現実となる。



提案する施策の具体的内容は、除染と病院の再開というもので、現実的な可能性もさることながらその効果にも疑問を持たざるを得ません。
いまなお放射性物質原発から飛散しているのではないか、除染の効果はどれくらいか、町中を除染するために必要な費用はどれほどか、病院を再開して本当に医師が戻ってくるのか、病院を再開すれば本当に住民が戻ってくるのか。
これらの検討はしないまま、まちの消滅だけは回避しなければならないとしています。


勿論、回避できるのであれば回避すべきです。
けれども原発事故は、多数のまちが消滅せざるを得ない出来事です。
チェルノブイリでは、458の村が消えたとされています( http://p.tl/8vJ5 )。


まちの消滅は、もはや回避することが出来ないことです。
これからどのような施策をとろうと、いくら国が安全だと叫び続けようと、
インターネットで情報を収集する若い夫婦は、放射性物質に少なからぬリスクがあることを知っています。
これから30km圏内の町に移住しようとする若年層は皆無でしょう。
子供をつれて原発の近くに観光に行く家族がいると思いますか。


政府が除染をしないから、政府が医師を呼び戻さないから、政府が適切な対策を採らないからまちが消滅するのではなく、原発メルトダウンを起こしたからまちが消滅せざるを得なくなったのです。
93歳の女性は政府が避難をさせる施策を採ったから自殺をしたのでしょうか。
避難せざるを得ない事故が起きたことに、避難により家族が疲弊していることに、社会の行く末に希望が見出せないことに、絶望して自殺したのではないでしょうか。


この記事はこの視点を欠いています。
記者があえて視点を打ち消しているのであれば原発事故を特集する記事としてあまりに不誠実だと思いますし、
この視点に気づいていないとすればあまりに勉強不足だと思います。


まちの消滅を回避することが本当に可能なのかを問わずして、産業を守るためにまちの人口を維持しようとする考えは、まちを無理して維持したことにより健康被害を蒙るかもしれない個々人の人生を蔑ろにしていると思います。
まちの存続、産業の保全という公的な利益が優先され、個々人の人生が切り捨てられる。
国家の保持・国体の護持という公的な利益が最優先された時代と、類似の様相を呈してきたようです。



ではまた。

記者の目:原発事故を苦に93歳自殺=神保圭作

 東京電力福島第1原発の事故で避難生活を強いられた福島県南相馬市の93歳の女性が「私はお墓にひなんします」と書き残し、自ら命を絶ったことを、9日朝刊で報じた。遺書に「毎日原発のことばかりでいきたここちしない」ともあった。

 ◇福島県民の悲鳴、聞き逃すな
 遺族を取材した7月5日、松本龍氏が被災地への暴言の責任を取って復興担当相を辞任した。長寿を祝福されるべき女性が自死へと追い込まれる現実と、政治家の認識との絶望的な隔たりに暗然とする。被災地は待ったなしの状況だ。取るべき策の速やかな実行が必要だ。

 ◇命を絶った意味しっかり伝えて
 亡くなった女性は再び避難することへの不安を募らせていたという。長男(72)から「悪いのは国か? それとも原発なのか?」と問われた。長男の妻(71)からは別れ際、こう言われた。「ばあちゃんが死んだ意味を、しっかりと伝えてください」


 私が担当する南相馬市は、原発事故で惨たんたる有り様だ。市域は、南部の小高区が警戒区域▽中心部の原町区が緊急時避難準備区域▽飯舘村などに接する山沿いが計画的避難区域−−に指定され、無指定と合わせて四つに分断されている。局所的に放射線量が高い「ホットスポット」も複数あり、特定避難勧奨地点が設定されようとしている。


 市の人口は今年2月末時点で7万1494人だったが、原発事故で一時は大半が避難した。徐々に戻りつつあるが、7月8日現在でも3万5222人と半分以下にとどまる。若い世代が避難を続けるケースが多いとみられ、65歳以上が占める高齢化率は震災前の25%から28%になった。


 深刻なのは働く場が減っていることだ。主要産業の農漁業が打撃を受けたうえ、自動車や機械、家電関連の部品を製造する事業所なども軒並み操業停止・縮小を余儀なくされている。市の中間報告によると、小高区で調査に応じた約180事業所のうち、警戒区域外で事業を再開したのはわずか28社。原町区では同約800社のうち4割近くが今も休業している。


 原町区のある縫製会社は、原発事故に伴う避難で従業員74人の3分の1が退社した。5月上旬に生産を再開したが、放射能の影響を懸念する大口顧客から取引停止を通告され、専門機関に商品の線量調査を頼むなど対応に追われている。会社幹部は「うちのような中小は同じ場所で続けるしかない。補償がなければ廃業せざるを得ない」と語る。


 故郷で働きたくても、その場がなければ外へ出るしかない。福島労働局によると、6月20日に受け付けが始まった県内の新規高卒者求人数は、5日間で297人と前年同期比4割減。南相馬市内の県立小高工業高校は東京で就職合宿をし、関東の大手自動車メーカーなどを見学させている。地元に見切りをつけるしかないのだ。企業も若い世代も去り、急激な過疎化でまちが消えるのではないか。市民たちは本気で心配している。


 こうした中、細野豪志原発事故担当相が2日に福島県を視察し、避難準備区域の指定を近く解除する考えを表明。16日には菅直人首相が南相馬市などに、原子炉安定冷却に向けた工程表のステップ1を「ほぼ達成できた」として19日に新たな工程表を出すと伝え、ここで解除の方針を示すとみられる。解除は歓迎したい。問題はそれで避難者が帰ってこられるかだ。


 放射線は、急性症状を引き起こさない低線量でも数十年後にがんを引き起こす可能性があるとされる。桜井勝延市長は5日、「子を持つ親たちは非常にナーバス(神経質)だ。東京でさえ沖縄まで避難する人がいる。低線量だと申し上げてもなかなか戻れないだろう」と語り、楽観していない。原子力災害において、政府が一片の「区域解除」を宣言したところで、すぐに人が戻ってくるとは思えない。


 ◇避難者が戻れる条件整備を急げ
 市民は、これまでの国の対応に不信感を募らせている。現に政府は避難準備区域を指定しながら、いざという時の避難先を最近まで示していなかった。市に常駐する原子力安全・保安院の担当者は「候補場所の自治体の説得が済んでいなかった」と説明するが、市民は「見捨てられている」との思いを深めている。


 国策として推進されてきた原発の事故が引き起こした南相馬の現実は、一地方自治体で対応できるものではない。土壌除染や医師が大量退職した病院の全面再開など、避難者が戻る条件整備に国は真剣に取り組む責任がある。それを怠れば、まちの消滅という市民の不安は現実となる。


 「お墓にひなんします。ごめんなさい」。死を決意した女性の言葉の重みに、私は打ちのめされた。南相馬市民、福島県民の苦痛と不安を代弁している彼女の声を、聞き逃してはならない。(南相馬通信部)


福島第1原発:3号機タービン建屋の屋根の穴を修繕
福島第1原発:3号機屋根の穴 きょう修繕工事
セシウム汚染:「県や市から連絡なし」宮城の生産者怒り
大飯原発:手動停止…再開へハードル高く
福島第1原発:「地下ダム」設計着手 着工前倒し検討
毎日新聞 2011年7月19日 0時07分