戦うか諦めるかの二択なのか。

生きていれば摩擦が起きて、我を通そうとすれば反発が起きて、他方で悩んで縮こまれば心はどんどん内向きになる。
表に立てば能力のなさをあげつらわれ、能力をつけるためには日々淡々とした努力が必要で、努力に疲れれば休みたくなる。
ひとたび休むと改めて動き始めるのに倍の労力がかかり、動き出す為の労力を体内に蓄積させる為には動き出さなければならない。


不幸せなソクラテスと幸せな豚のどちらが良いかは正直なところ分からないけど、不幸せな豚はどちらにもなれないからこそどちらに対しても羨望の気持ちを抱く。


不幸せと幸せの基軸をまぜっかえさなければ窮屈だ。
戦うか、諦めるかの二択しかないのか。
戦うのもいやだ、諦めるのもいやだなどと言っていれば、結局諦めきれずに諦めることになる。

自分と社会のどちらに不満があるのか分からないが、不満を抱えていると動きが鈍い。

楽しさと安楽さのどちらも望むといつしか安楽さが失われてしまう。

戦わない自分には嫌気を覚え、けれども弛緩させるアルコールとぬくぬくとした布団を強く好む。
ほどほどに戦い、ほどほどに諦め、ほどほどに楽しく、ほどほどに安楽な生活を求めることは、甘えなのか至道なのか。


戦うか諦めるかは早くに決めないとずるずるどっちつかずになる。
前者は資格の問題で、後者は覚悟の問題で、どっちも結構苦手な分野だ。

特に何があったわけでもありませんが大まかな人生のテーマでもあり、地震原発事故と私生活の変化を経たここ半年のテーマです。

ではまた。