小沢の説明責任、検察の説明責任、マスコミの説明責任

ついに検察批判がじゃんじゃん出るようになりました。
ネット万歳。ブログ万歳。ツイッター万歳。



さて。

かつては一部の弁護士や一部のジャーナリストしかここまで本格的な批判はしていなかったと思う。そして、そのような本格的な批判は、法律雑誌などの比較的ニッチな雑誌で取り上げられているだけで、新聞やテレビなどのマスに乗ることはなかった。今も、新聞やテレビではほとんど検察批判はされていない。たまにコメンテーターに少ししゃべらせるくらいだ。小沢の「説明責任」とやらをがなりたてるだけだ。
そもそも「説明責任」って何なんだ?理論的に何に基づくんだ?経営者の株主に対する説明責任は、投資を受けた受任者としての地位に基づき、経営に関する事項について説明する責任があるといわれる。政治家の説明責任は、投票を受けた受託者としての地位に基づくのだろう。では、経営者における「経営に関する事項」は、政治家における何なのだろう。「政治に関する事項」か。それはなんだ。恐らく本質的には、政治判断をする際に用いた情報や論理を説明するべきであるという理屈だと思う。「依らしむべし、知らしむべからず」は許さないということだ。


では、マスコミががなりたてる小沢の説明責任は、何に対する説明責任なのだろう。恐らく彼らは言うのであろう。「政治家にとって、自らの政治資金団体の収支報告は全て説明する義務がある」と。それはそのとおりだ。そしてまさに小沢は法律に基づき報告をしているわけだ。

問題は、「全て説明」しろとがなりたてられては、何も説明できないと言うことだ。妻や夫から、あなたの昨年のお金の使い道に問題がある、説明して、と言われても、何を説明したらよいのかわからない。

最近ようやく少し内容が固まってきて、4億の移動と、5000万の献金とやらの話が出てきたが、こんな話、昨年来の小沢問題の際には全く出てきていなかった。急に先週から出てきた話だ。しかも出所もわからん(関係者によると??らしい)話。この話について、今度は「説明責任」とやら。


いったい、何を説明しなければならないのか、土俵を設定するべきは、マスコミであり検察だ。●●についての説明をしてください、と聞くべきだ。例えば、4億円の原資は何だったのですか?と。そして、それに対しては小沢は応えている。親父の遺産だ、個人でこつこつためてきたのだ、と。これに対して疑問を持つのであれば、徹底した捜査や取材を重ねて、改めて疑問をぶつけるべきだ。例えば、親父の遺産と言いながら、相続税申告をしていないようですが、これはなぜですか、と。


それもせずに(しているのかもしれないが、少なくともそのような質問をしている場面は映されないし、記事とならない)、説明責任を果たしていない、と断じるのはどういうことであろうか。


そんなことを言い出したら、検察は「リーク」をしている疑惑があるわけだが、そして国家公務員法における守秘義務違反は懲役1年以下の懲役刑又は50万円以下の罰金刑であるわけだが(同法109条、100条)、なぜ検察には、このような違法行為疑惑に対する説明責任がないのか。

検察のリークは運用としてなされており、極めて悪質な違法行為である。マスコミは一切検察にこの点を正さない。説明責任と騒がない。なぜだ。


そして、マスコミは検察の違法行為に対して説明責任と騒がない、という国民に対する背信行為をしているわけだが、マスコミ自身に、その点についての説明責任はないのか。マスコミが報道の自由を保障されているのは、国民の知る権利に資するためだ。そこには国民による付託がある。株主と経営者、国民と政治家と同じ構造である。マスコミは、自身が違法行為に加担していることを、どのように考えるのだろう。かつて、西山記者事件があった。一記者が国家公務員をそそのかして、外交上の機密情報のリークを受けたために、一記者が有罪判決を受けている。リークをした公務員が外務省の人間だと、取材をした記者が守秘義務違反の教唆罪として有罪の判決を受けるが、リークをした公務員が密室で政治家の取調べをしている検察官だと、リークをした検察官も、それを受けて記事にした記者も、一切お咎め無しだ。この二つの事件が全く異なる扱いを受けている異常性について何一つマスコミは説明しない。



説明責任は、いつ、どのような状況で、誰に対して発生するものであるのか、あまりにもあやふやな概念である。
検察ににらまれたら、側近が逮捕されたら、マスコミが説明責任があると騒ぎだしたら、説明責任が発生するのか。説明責任は政治家にのみ課せられるのか。権力者には課せられるのか。なら、なぜ検察や裁判官には課せられないのか。ジャーナリストには課せられないのか。権力の定義は何だ。国民から負託を受けている者は皆、権力者ではないのか。どのような状況だと、説明責任を果たさないことがまるで犯罪であるかのように責め立てられるのか。なんなんだ。


私は、小沢に説明責任を求めるならば、検察にも求めるべきであるし、
検察に求めないのであれば、小沢にも求めるべきではないと考えている。


そして、どちらかと言えば、後段を優先するべきだと思う。裁判を前に、全てを説明しろと言うのは、酷だ。仮に権力者なのだから説明責任を果たすべきだと言うロジックがあるならば、むしろ、検察には求めるけれど、小沢には求めない、とするのが妥当だろう。権力者と言えども、刑事裁判においては一個人である。権力を使うことは出来ないのだ。


なお、マスコミが取材により暴いた疑惑については、政治家に説明責任が存在すると言う論理もわからんではない。マスコミは疑惑を、国民に対して明示して、ボールを政治家に投げているからだ。政治家は疑惑について説明する責任があるといっても良い。

しかし、今回、検察は、何らボールを投げていない。秘書を逮捕しただけだ。被疑事実の根拠について、何ら明らかにしていない。この状態では、何も説明できない。また、何か説明をすれば、その事実を検察に利用される。だから、検察に逮捕されたからと言って、説明責任など発生しないと考えるべきだ。せめて検察に、政治家に説明を求める内容と理由を明確にさせる必要がある。リークなどという卑劣な方法ではなくて。



この国では、個人の名前で活躍する者が、組織に属する者から糾弾される。
残るのは、組織に忠実な、つまらない個人だけだ。
組織は、複雑な問題を、立場に基づいて単純に捉える。そうして、世の中が単純な切り口であふれる。複眼的な世界から、放置され、無視される。



説明責任という言葉が一人歩きしすぎている。
イラク人質事件のときの、自己責任と同じように。
マスコミは、4文字熟語が好きなようだ。
ワンフレーズポリティクスか。
そういえば警察も、駄洒落の入った5・7・5が好きだ。
その点でも、仲間か。


ではまた。
次回は、司法の問題としての、検察・マスコミ・裁判所について、書きたいと思います。


※2010.1.19追記:わかりやすい解説がありました。
http://www.fooooo.com/watch.php?id=TMZtq-Kz5yg&type=hotvideo