司法試験の旧制度と新制度の比較−特に費用の面から

江川紹子さんのツイッターから(amneris84)

打ち合わせの時、伊藤真さんが「今は1000万円ないと弁護士を目指すこともできない。これじゃ、多様で優秀な人材が法曹に入ってこられない」と嘆いていた。弁護士になるために借金を背負う人が多く、弁護士になっても借金を返すために金になる仕事を優先しなきゃならない。世襲も増えている、と。


よくされる議論であるが、ロー出身者としてはとても違和感があるので、丁寧に反論したい。


4つの点から分析する。

  1. :新制度に必要な費用。
  2. :旧司法試験時代に必要だった費用。
  3. :借金を背負う人が多いと、弁護士になっても金になる仕事を優先しなきゃならない、という点。
  4. 世襲も増えている、という点。


1:新制度に必要な費用の分析ー「1000万円」の内訳が不明。
・学費だけであれば、最高額の桐蔭横浜大学でも3年間で510万円である。国立の2年コースであれば、160万8000円。1000万など到底いかない。http://laws.shikakuseek.com/expenses.html

・しかも、ほぼすべてのロースクールで、学費の減免制度あり。中央大学の半分以上の学生が、正規の学費の半額以下で在学していることはよく知られている。http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/lawschool/lawschool07_j.html
早稲田大学も250人中上位20人は、学費半額。

・ちなみに医学部なら、最安値の順天堂・慶応でも、6年間で軽く2000万円を超える。しかも、学費の減免制度は充実しているとは言いがたい。http://adomodoki.hp.infoseek.co.jp/

・結論として、学費だけで言えば、ロースクールは全く高くない。教育機関としてはむしろ極めて安価。

・さらに、旧育英会から、奨学金を低金利(2%以下)で借りることができる。http://www.jasso.go.jp/taiyochu/riritu_jasso2.html#h21
しかも、上記奨学金は、在学中の成績次第で、半額又は全額が返済免除になる制度もある。

・実際、私の場合は、大学からそのまま同じロースクールに通ったため入学金はなく、年間学費:約120万円×3年=360万円。これが純支出。特別奨学金として2年次に30万円の給付を受け、また、月々約8万の無利子の奨学金を3年間借りていたが(288万円)、そのうちの半額の144万円が学業成績等を勘案して返済免除となった。そのため、174万円が差し引かれ、結果としてロースクールの学費に必要となった費用は3年間で186万円である。

・なお、確かにロー在学中に1000万円の借金を抱える人間はいる(私もそうだ)。しかし、それは、在学中にバイトをせず、仕送りに頼らず、3年間学業に専念するとすれば、当然かかる費用である。というよりも、東京で生活するのであれば、家賃で6万×12ヶ月×3年=200万はどうしてもかかる。それをロースクールの費用に含めるのはアンフェアだ。予備校費用がかかっているのかもしれないけれども、学部時代と異なり、ロースクールでまじめに授業を受講し、友人と学修すれば、予備校はほとんど不要のはずで、予備校費用は入れるべきではない。むしろ、予備校に頼らない制度を設計したはず。予備校が必要であることを前提に1000万と算定しているのであれば、それは予備校に頼らざるを得ない制度になっていることを批判するべきで、1000万円かかることを批判するべきではない。

・ちなみに、アメリカのロースクールであれば、年間学費が200万を下ることはほとんどない。http://www.ilrg.com/schools/analysis/(真ん中のyearly tuitionが授業料。ベストテンであれば(一番左のカッコ内の数字がランキング)軒並み20000ドルを超える)。

・また、普通の大学であっても4年間すごせば、学費100万×4年+生活費で当然1000万円を超える。それについて、「今は1000万円ないと大学生を目指すこともできない」とは言わない。
なぜか。大学は、全員卒業できるからだ。大学にいったのに就職ができない、となればもっと社会問題になるかもしれない。また、司法試験と違って旧大学制度がないからである。(もしくはあっても旧帝大時代で少なくとも)「今は」といえる比較対象がないから。そして、司法試験においては、旧司法試験という比較対象があり、しかもこの制度に愛着を抱く人が多い。
仮に、「本当であれば、学費が高くて弁護士になるべきなのになれる人が少なくなっている」、と嘆くなら、その解決策は極めて単純で、学費を下げるべく税金を投入すればいいだけだ。学費問題は、私はそもそも本質的な問題ではないと考えているが、仮に問題だとするならば学費問題として独立でとりあえげるべきで、だから新制度はだめなんだという全体の批判に摩り替えるのはおかしい。つまりは、学費の問題ではなくて、卒業後のリターンの問題だ。

・個人的には、1000万近くのローンは、家を買うよりも、よっぽど価値のある投資だと思っている。むしろ3年間、全くお金の心配をせずに学業に専念できる環境が準備されているロー生活は、極めて恵まれている。

次に、旧司法試験時代に必要だった費用を計算。



2:旧司法試験時代に必要だった費用
・旧試験時代どれほどの費用が必要だったかについては、2つのモデルケースを想定すべき。1つ目はひたすら家で勉強する生活。15年前くらいまでの受験生は多くがこの生活だったと思われる。2つ目は、予備校で学習する生活。15年前以降、ほとんどの受験生は多かれ少なかれ予備校に通っていた。

・1つ目のケースは、学費もなく、ひたすら家で生活するだけだから、生活費もほとんどかからない。清貧のような生活で、おそらく年間150万円程度で生きていたのだろう。ただ時代背景も無視できない。現代の学生で神田川のような生活をしている人はほとんどいない(そもそも東京ではそんなアパートがあまり残ってない)が、当時は普通だった(だから歌にもなった。余談だが、現代の神田川は、大久保などのシェアハウスだろう。家賃も安く、狭い。ただ、神田川と異なり哀愁よりも活力が漂う。歌になればもっと前向きな歌になるのだと思う)。

・2つ目のケースは、基本的に学校に通うように予備校に通う。私も7年前にこのような生活をしていた。予備校費用ではじめの2年間で150万はかかる。この時期は、週に3回、1回3時間の講義を受ける。ロースクールのこま数にすれば、週に6コマだ。2年間の基礎講座を終えると、その後は択一講座や論文講座といった受験講座をとることになる。1つあたり10万位だった気がする(http://www.itojuku.co.jp/)。毎日予備校に通い、自習室で勉強しながら、週に1、2度講座を受ける。
旧試験時代、学部の授業だけで司法試験に合格することは極めて困難で、友人で予備校に通っていなかった人は知らない。予備校費用も明らかに弁護士を目指す必要経費だった。ただ、新司法試験に必要な経費からは予備校費用を除きながら、旧試験の経費に全額含めるのはアンフェアなので、半額を参入しよう。

・問題はここからで、旧試験では、平均勉強期間が異様に長い。上記1つめのモデルケース時代、すなわち合格者500人時代は、10年は受験勉強をするのが当たり前だった。2つめのモデルケースの時代で丙案という若年者優遇制度を実施して以降も平均年齢は29歳(http://bar-exam.shikakuseek.com/data/17.html)。つまり平均して大学卒業後6年程度は勉強することになる。

・上記のように年間150万の生活費で生きていたとしても、合格までには10年かかるのだから、1500万円は優にかかる。2つめの予備校利用型でも、6年間は必要。予備校代が2年で150万、以後毎年30万円(うち半額を参入)、生活費が200万とすると、結局やっぱり1500万程度はかかる。
しかも、6年から10年の機会損失が当然にかかる。得られるべき収入という損失もさることながら、もっとも輝かしい20代を、社会との接点を得ぬままにすごすことになるという非経済的損失も計り知れない。

・なお、費用として馬鹿にならないのが、ロースクールで得られる学習の機会費用。ローでは、最低限のコンピュータースキル、会計学や法医学といった隣接科学、文献検索能力、エクスターン・クリニック・模擬裁判といった実地学修があるが、旧試験時代にはこれらは一切与えられない。仮に合格後に改めて学修するとすれば、ある程度の費用がかかる。

・もちろん、最短で合格する人は、在学中に合格できるし、賢い人であれば予備校も遣わなくてすむのだから、ほとんど費用はかからないだろう。そういった意味では旧試験は、優秀な人にはすばらしい制度だ。19歳で合格できるような秀才には、無駄な時間となるかもしれない(ちなみに私は優秀な人にはあらゆる場面でバイパスを用意するべきだと思う。小学校の6年、中学の3年、高校の3年、大学の4年というのは、あまりに硬直的だ。それと同じく、司法試験もバイパスがあってもいいと思う。ただ、小学校から大学までの教育機関においてはバイパスを主張しないにもかかわらず、ロースクールにおいてのみバイパスの欠如を批判するのは不公平だと思う)。けれども平均すると、上記くらいは必要になるのだ。


・なお、ロースクールでも、上記のように、在学中の成績次第で学費が免除になったり、奨学金の返済が猶予されたりするので、最終的に3年間で(「学費」−「奨学金受給額」が)黒字になった人もいる。制度を議論するときにそんな人を話題にしても仕方がないので平均値を検討する。



1と2のまとめ
実際に必要な経費で言うと、ロースクール時代も旧試験時代もさほど変わらない。ロースクールは金がかかる、というのは、旧制度に愛着を持つ人たちの実態を見ないプロパガンダだ。
むしろ、ロースクールの学費は、ローの成績に比例して減免を受けられるので、努力をすればしっかりと安く卒業して受験資格を得られる。他方で、予備校には奨学金もないし、金融機関からの借り入れ制度もない(ローにはある)。学割もきかない。社会的受容度も低い(多くの親も、予備校で司法浪人を5年過ごすよりも大学院生という肩書きを望むと思う)。学費の減免もほとんどない。
以上のとおり、予備校に通わずに、教育機関が法曹養成教育を担当する、というロー制度は、費用負担の面でも優れた制度だと思う。
問題は、ローに通いながら予備校にも通わなければならない現状である。つまりローの教育機関としての能力が問われているのであって、制度の問題ではない。
つまり、ロー制度は金がかかる⇒ロー制度は旧制度よりも劣る制度だ、という批判は全く的を射ていない。むしろ、旧制度のほうが制度としては劣っていたが、当時は比較対象がなかったため、批判を免れていただけだ。
合格まで平均で10年かかるような制度、対応した適切な教育機関も、奨学金制度もなく、試験を上からぽんと与えられて、それに向かって独学でがむしゃらに突入する制度、互助努力のみで(それはそれで麗しいし、優れた制度だが国の制度としては欠陥だろう)成り立つ学修制度、試験一発勝負で参入の可否が決まり、業界参入後には一切の篩がない制度に比べれば、新制度の優位性は明らかだと思われる。

なお、1000万円も借金しても、合格できず、また、合格しても就職できずに、返せなかったらどうする、という議論は全く別の話。大学で奨学金を借りて、就職できなかったらどうするというのと同じ。それは、景気の問題や、参入しようとしている業界のキャパシティの問題や、リスクとリターンの兼ね合いの問題。確実に儲かる投資なんてないのだから、合格できなかったときのリスクは当然避けて通れない。というよりも、昔の司法試験では、10年間勉強しても受かるかわからなかったのだから、金銭的なリスクはともかく、人生的なリスクで言えば、際立って高い。もちろんリターンも際立って高かったけれども。



3:借金を背負う人が多いと、弁護士になっても金になる仕事を優先しなきゃならない、という点。
・弁護士は金になる仕事を優先してはいけないのか、という問題は措く。

・まず、医師に比べれば圧倒的に費用が安い。

・では、医師は、金になる仕事を優先しなきゃならない、と思われているか。多分思われていない。金にならない仕事をしっかりとやっている医師は、どこから生まれる?制度?個々人の心意気ではないのか。

・多くの社会人は、20代後半から30代にかけて、マンションの30年ローンを組む。その額は実に数千万。ローの学費など、桁違いだ。そして、それは旧試験時代の弁護士たちも同じだ。弁護士になるや否や、多くの弁護士が家や、車や、船を買って、又は独立するために、大型のローンを組むけれども、彼らが、金になる仕事を優先しなきゃならないといわれない。

・つまり、借金を抱える=金になる仕事を優先する、なんていうのは、全く論理的でない。ある程度仕事が軌道に乗ったり、安定した会社に入った人が借金を抱えることは一般的だけども、仕事をする前に借金を抱えることはこれまで一般的でなかったから、違和感をもたれているだけだ。アメリカの弁護士のほとんどは、自分でロースクールの学費についてローンを組んで、将来返済していく。家に比べれば、よっぽどリターンの大きいローンだ。

・問題なのは、ローンを組んでも、弁護士になれないかもしれないことであり、また、弁護士になったあとで仕事が少ないことであって、それは借金を抱えることの弊害ではない。借金を抱えてなくても、弁護士になった後で仕事が少なければ、金になる仕事を優先しなければならない。借金を抱えるから金になる仕事を優先できないのではなくて、競争が激しくなったから、である。借金を抱えていても、潤沢な収入が確保されるのであれば、金にならない仕事もできるだろう(なお、個人的には、金にならない仕事をやることのみに満足を得ている弁護士もいるように思えて、あまりこの手の議論は好きではない。金にならない仕事だから重要なのではなく、重要な仕事だから重要なのだ。金にならず誰も手をつけない仕事で社会から放置されている重要な問題を弁護士が手がけることがあったから、金にならない仕事≒重要な仕事という図式が一見成立しているだけだ)。

・そもそも問題なのは、弁護士全員が金になる仕事を優先していないと思われていたこれまでの幻想だ。旧試験の弁護士たちが、本当に金にならない仕事を優先してきたのか。プロボノ活動をしてきた弁護士は、何割だ。年間500人しか弁護士がいなかったにもかかわらず、規制利益を潤沢に与えられておきながら、皆が皆、本当に金にならない仕事を優先してきたのか。もちろん、すばらしい活動をしてきた先達たちはまさに綺羅星のごとくいる。心から尊敬できる弁護士は、数え切れない。けれども、弁護士が全員そうなのか、といわれれば、断固として否定する。規制産業に胡坐をかいて、克己心を忘れ、既得権をむさぼる弁護士は、厳然として一定数いる。それは、恥ずべきことではない。どの業界にも一定数はいるのだから。けれども、いないことにしてはならない。

仮にかつての弁護士たちのうち5割が金にならない仕事を優先してきたとしよう。
借金を抱えた弁護士たちの2割しか金にならない仕事を優先しないとしよう。
この仮定に従うと、旧制度では、500人×0.5=250人が毎年生み出されていたが、新制度では2000人×0.2=400人だ。
社会において、金にならない仕事を優先する弁護士が150人増えることになる。
それこそが重要ではないか。弁護士という職業の、多様性を実現するべきだと思う。
仮に、新制度になり、規制が外れたために、これまで金にならない仕事を優先できた人も優先できなくなった、というのであれば、そのデータを出してほしい。
私の知る限り、典型的なそのような分野である、刑事分野のここ数年の弁護士会の情熱はすばらしい。特に、弁護士の人数が増えて以降、熱心な刑事弁護士の数が増えていると思われる。
また、外国人問題もそうだ。憲法問題・女性問題・政策秘書・過疎地域等々。いずれの分野も、人数が増えてから、格段に金にならないといわれる分野に参入する弁護士の絶対数は増えている(データが必要だ)。

絶対数こそが、重要なのではないか。金にならない仕事をしたがらない弁護士の比率が増えることが重要なのではないのではないか。そして、絶対数は増えているのではないか。


4:世襲も増えているという点
・これはわからん。データがほしい。

・ただ、旧時代にも世襲は大量にいた。

・新制度になったからといって世襲が増えたというイメージはない。

・私の同期で私が知る限り、世襲は3人かな。

・ちなみに、私の感覚では、医者と政治家のほうが抜群に世襲が多い。

・あと、資格試験である以上、世襲が多かろうと、当人の実力なのだからいいんじゃないかな。

・伊藤氏は、金がない人はなれない、ということの裏返しとして世襲という言葉を使ったのだと思うけど、上述したとおりロースクール教育機関として安価だし、世襲=金があるという意味では、これまでの弁護士への批判なのでは。なぜ弁護士は、そんなに金があることが前提となっているのか。規制以外に、業界全体として金が潤沢にある原因はあるのか。一部の弁護士が儲かるならわかる。なぜ弁護士全員が金があることを前提とするような議論が成り立ちうるのか。



結論
・ロー制度は旧制度と比べて金がかかるようになったのではなくて、金がかかることが目に見えるようになっただけである。

・ロー制度の問題点は、金がかかることではなくて、リターンが目に見えて減ったこと。

・ただ、それは合格者数を増やした=規制利益を減らしたのだから当たり前。

・仮に旧試験を維持したまま合格者数を2000人にしても同じ問題は出ていた。

・今の議論は、合格者数が増えて既得権としての規制利益を脅かされている人たちが、規制撤廃批判をそのままするとあまりに露骨になるので、ロー批判に摩り替えているに過ぎない。

・ただ、実際に批判されるに値する欠点がロー制度にはたくさんある。それは改善する必要がある。一つ一つの欠点を分析して、解決策を提示する必要がある。
とはいえ、ロースクールをやめて昔の試験に戻すということはありえない。昔の制度に比べればよほど優れた制度。

・いずれにせよ、金がかかるという現実認識も正確なデータに基づいていないし、仮に金がかかること「だけ」が問題なら、解決方法はむしろ簡単で、税金等を投入すればいいだけだ。制度の問題点などないに等しいことになる。当然そんなことはないのだが、金の問題ばかり取り上げる議論は、本質を見ていないと思う。なお、実際、これまで国費をふんだんに投入されていた修習も短くなり(昔は500人に対して2年間の教育がなされていた。今は2000人に1年間。単純に2倍は費用がかかっているが。)、ついには給費から貸費なんてことも言い出しているのだから(これにより修習専念義務は早晩破綻するはず)、その分の税金をローに投入すればいい。

・ちなみに、ロースクールは全員が合格するわけではないので、法曹養成として国費を投入するのは費用対効果が悪い、といったような議論がある。一見もっともだが、法曹養成というのは、司法試験合格という資格だけで図れるものではないだろう。法律学と法律実務を体系的に学びながら、法曹にならずに社会のさまざまな分野に根付く人を増やすことも広い意味で法の支配の実現に資するのではないだろうか。
参照:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20051020



以上です。



ではまた。