裁判員裁判において、審理に入るまでに時間がかかりすぎている理由は

最高裁の長官が、裁判員裁判について以下のような談話を残しています。

一番の課題は、起訴された事件に対して、審理された事件の数がまだ少なすぎる。審理に入るまでに時間がかかりすぎていることが一番の問題と受け止めている。どうしてそうなるかというと、やはり「失敗してはいけない」「新しい制度だ」ということで、関係者が全員過度に慎重になっているのではないか。

 しかし、審理まで時間がかかると被告人の勾留(こうりゅう)期間がそれだけ長くなる。調書に換えて証人の記憶を公判で述べてもらうことによって立証しようという公判中心主義を前提にした制度だから、そういう面でも証拠の持つ意味を低下させることになる。もう少し迅速な審理が望まれる。


 ――(起訴されたのに審理が始まらない)滞留事件の原因はどこにあるのか。改善するにはどうしたらいいか。

 今の段階で誰に責任があるとは言いたくない。(法曹)三者それぞれ悪いところがあり、どこに問題があるか考えていく。

[asahi.com憲法記念日 竹崎最高裁長官、会見の主なやりとり〉]


公判までに時間がかかる理由はひとつだけです。
証拠開示の制度が細かすぎるからです。
現在、公判までにやっている手続きは、大きく3つの手続きです。


1.「検察の仮説の提示」
 検察官は、起訴状及び「証明予定事実記載書」という書面で、被告人が犯人であるという検察側の仮説をストーリー仕立てで提示します
(なお、裁判とは当該検察側の仮説が合理的に考えて間違いないといえるか否かを検証する手続きです)。
2.「証拠開示手続き」
 弁護側は、検察官の仮説に不合理な点がないかを検証するために、検察官に一定の証拠の開示を求め、それに対し検察官が証拠の開示不開示を判断して対応します。
3.「弁護側の争点の明示」
 開示された証拠を元に弁護側が争点を提示して、検察官の仮説のうち、どの点を争うのかを明示して裁判に臨みます。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

以上の流れの中で、現在、圧倒的に時間を食っているのは、2の手続きです。
弁護側が、Aという証拠を出してほしいと検察官に請求すると、検察官は、Aという証拠はない、Aという証拠があるかないかはいえない、Aという証拠はあるけれども類型証拠開示請求としては出せない、Aという証拠はあるが、要件を充足しないので出せない、などと回答してきます。
それに対して、弁護側が、Aという証拠はあるはずだ、Aという証拠があるかないかは明確にされるべきだ、Aという証拠は類型に該当するのだから類型証拠開示請求に対応させるべきだ、
などと極めて不毛な議論を延々と行います。



弁護側は、検察がいかなる証拠を持っているかすらわかりません。
あてずっぽうで、Aを出せ、Bを出せ、とやっているのです。
こんなことをやっていれば、時間はかかる一方です。
弁護側は、Aはない、と検察官に言われても、本当にないのか、検察官が隠しているのか、検察官の手元にはないとしても警察官の手元にはあるのではないか、などと探り探り証拠の開示を求めるしかないのです。


検察官が、手持ち証拠一覧表を起訴状とともに開示し、弁護側が当該一覧表に伏せられた証拠のうち争点に関わると思われる証拠をすべて開示させ、当該開示証拠を総合的に・多角的に検討して争点を明確にして、裁判に臨むことができれば、公判前の期間は格段に短くなります。

弊害は、皆無です。検察官は、証拠の秘密であるとか、弁護側に乱用される危険があるとか、色々な理由をつけて全面的な証拠の開示を拒みます。しかし、これらの弊害は、何ら具体的なものではありません。現に各国では、証拠の全面的開示が一般的です。

カナダ
http://www.ls.kagoshima-u.ac.jp/ronshu/ronshu1/55/ronbun/A03890813-00-000550001.pdf
(「検察の手中にある捜査の成果は、有罪を確保するための検察の財産ではなく、正義がなされることを確保するために用いられる公共の財産(the property of the public)である−カナダ最高裁スティンチコム判決(1991年)より」という冒頭の一文が印象的です)。

ドイツ
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/10976/1/KJ00004858455.pdf

アメリカでは民事においてもディスカバリー手続という証拠開示手続きが整備されています。

アメリ
http://www.bll.gr.jp/sayama/syutyo-354.html
アメリカではすでに一九六〇年代にジェンクス事件で国家機密を理由に検察官が証拠開示を拒んだ際に、合衆国最高裁は証拠開示しないなら公訴を棄却するという決定をおこなったという。アメリカでは被告に有利な可能性のある証拠を開示する義務が判例として早くから確立している。)


他方で、最高裁長官が述べているように、公判前の期間が間延びしていることの弊害としては、被告人に対する不当な勾留の長期化、証人の記憶の減殺等無視できないものがあります。
検察官の全面証拠開示が不可欠です。



以上が私の考えの骨子です。

以下、公判前の意義や証拠開示について敷衍して説明します。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

現在、裁判員裁判をはじめとする争いのある刑事事件においては、公判前整理手続きに付されます。当該手続きは、争点を明確にすることが主目的です。

第三百十六条の二  裁判所は、充実した公判の審理を継続的、計画的かつ迅速に行うため必要があると認めるときは、検察官及び被告人又は弁護人の意見を聴いて、第一回公判期日前に、決定で、事件の争点及び証拠を整理するための公判準備として、事件を公判前整理手続に付することができる。

争点を整理するためには、事案を整理する必要があります。
しかし、被告人側・弁護側には、当該事案についての情報が一切ありません。
特に、被告人が本当に身に覚えのない事件だと、自分が起訴されている事件がどういう事件で、なぜ自分が犯人だと思われているかすら、一切わかりません。

他方で、検察官は、莫大な費用と時間と権力をかけて、被告人を逮捕・勾留してひたすら取調べをして、他方で関係者を呼び出し事情を聞きだし、近隣の聞き込みを行い、Nシステムや防犯カメラ(全国のコンビニには防犯カメラがあるのでコンビニに入ったり周辺を移動すれば必ず引っかかる)をチェックして被告人の動向を把握し、現場のあらゆる根瘤物を根こそぎ引き上げ、その全てに科学鑑定を行って、そうして被告人が犯人であることを裏付けると思われる証拠だけを抜き出して、起訴をしてきます。

裁判は、そのような検察官の仮説が、本当に証拠によって裏付けられているかをチェックする場面ですから、捜査が終結し、検察官が当該被告人が犯人であると自信を持って起訴してきた以上は、それ以降検察官が国家権力を駆使して収集した証拠のすべてを反対当事者である被告人・弁護人の目にさらして、彼らが反対の立場からのスクリーニングを経て裁判所に無実の方向に働く証拠を提示した上で、第三者たる裁判所が両方の仮説及び両方の仮説を裏付ける証拠を比べ合わせて、本当に被告人は犯罪を行ったのか否かを判断するシステムが不可欠です。

被告人・弁護人が目を皿のようにして証拠を検討して、自分が無罪である証拠はないか、有罪であることを弾劾するような証拠はないかと、徹底的に検証させてもなお裁判所に有罪の確信を抱かせて始めて、国は国民に刑罰を下すことができるようにしなければなりません。

公判前手続きという制度はそのような理念の下導入されました。

そのため、公判前手続きには、以下のような証拠開示の手続きがあります。

第三百十六条の十五  検察官は、前条の規定による開示をした証拠以外の証拠であつて、次の各号に掲げる証拠の類型のいずれかに該当し、かつ、特定の検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であると認められるものについて、被告人又は弁護人から開示の請求があつた場合において、その重要性の程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をすることの必要性の程度並びに当該開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度を考慮し、相当と認めるときは、速やかに、同条第一号に定める方法による開示をしなければならない。この場合において、検察官は、必要と認めるときは、開示の時期若しくは方法を指定し、又は条件を付することができる。
一  証拠物
二  第三百二十一条第二項に規定する裁判所又は裁判官の検証の結果を記載した書面
三  第三百二十一条第三項に規定する書面又はこれに準ずる書面
四  第三百二十一条第四項に規定する書面又はこれに準ずる書面
五  次に掲げる者の供述録取書等
イ 検察官が証人として尋問を請求した者
ロ 検察官が取調べを請求した供述録取書等の供述者であつて、当該供述録取書等が第三百二十六条の同意がされない場合には、検察官が証人として尋問を請求することを予定しているもの
六  前号に掲げるもののほか、被告人以外の者の供述録取書等であつて、検察官が特定の検察官請求証拠により直接証明しようとする事実の有無に関する供述を内容とするもの
七  被告人の供述録取書等
八  取調べ状況の記録に関する準則に基づき、検察官、検察事務官又は司法警察職員が職務上作成することを義務付けられている書面であつて、身体の拘束を受けている者の取調べに関し、その年月日、時間、場所その他の取調べの状況を記録したもの(被告人に係るものに限る。)
○2  被告人又は弁護人は、前項の開示の請求をするときは、次に掲げる事項を明らかにしなければならない。
一  前項各号に掲げる証拠の類型及び開示の請求に係る証拠を識別するに足りる事項
二  事案の内容、特定の検察官請求証拠に対応する証明予定事実、開示の請求に係る証拠と当該検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし、当該開示の請求に係る証拠が当該検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であることその他の被告人の防御の準備のために当該開示が必要である理由

第三百十六条の二十  検察官は、第三百十六条の十四及び第三百十六条の十五第一項の規定による開示をした証拠以外の証拠であつて、第三百十六条の十七第一項の主張に関連すると認められるものについて、被告人又は弁護人から開示の請求があつた場合において、その関連性の程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をすることの必要性の程度並びに当該開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度を考慮し、相当と認めるときは、速やかに、第三百十六条の十四第一号に定める方法による開示をしなければならない。この場合において、検察官は、必要と認めるときは、開示の時期若しくは方法を指定し、又は条件を付することができる。
○2  被告人又は弁護人は、前項の開示の請求をするときは、次に掲げる事項を明らかにしなければならない。
一  開示の請求に係る証拠を識別するに足りる事項
二  第三百十六条の十七第一項の主張と開示の請求に係る証拠との関連性その他の被告人の防御の準備のために当該開示が必要である理由


前者は、1号から8号まで、開示されるべき証拠が類型化されているため、類型証拠開示と呼ばれます。後者は、弁護側の「主張に関連する」証拠の開示が認められているため、主張関連証拠開示と呼ばれます。

わざわざ、開示されるべき証拠を限定し、その開示の要件を法定し、公判前において、Aという証拠は類型に該当する/該当しない、Bという証拠は主張に関連する/関連しない、と延々やり取りをするわけです。弁護側と検察の意見が対立し平行線をたどると、裁判官は、以下の条文に基づいて、Aという証拠は開示されるべきだ/開示されなくとも違法ではないという判断を下します。

第三百十六条の二十五  裁判所は、証拠の開示の必要性の程度並びに証拠の開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度その他の事情を考慮して、必要と認めるときは、第三百十六条の十四(第三百十六条の二十一第四項において準用する場合を含む。)の規定による開示をすべき証拠については検察官の請求により、第三百十六条の十八(第三百十六条の二十二第四項において準用する場合を含む。)の規定による開示をすべき証拠については被告人又は弁護人の請求により、決定で、当該証拠の開示の時期若しくは方法を指定し、又は条件を付することができる。
○2  裁判所は、前項の請求について決定をするときは、相手方の意見を聴かなければならない。
○3  第一項の請求についてした決定に対しては、即時抗告をすることができる。

つまり、弁護側が開示を請求した証拠一つ一つについて、検察官は、「条文に定められた類型に該当しない」、「当該証拠は弁護人が提示した主張に関連していない」、「当該証拠は存在しない」、といったように回答をして開示を拒絶した場合には、個別の証拠ごとに、裁判所が、この証拠は開示しなさい、この証拠は開示しなくてもよい、といったような決定を下すということです。

こんなだらだらとした手続きを、証拠の一つ一つについて行うのです。
有名重大否認事件であればあるほど、検察官は証拠を隠したがります。弁護側に有利な証拠を開示されたら無罪になってしまうかもしれませんから。実際、これまで裁判において、捜査側が証拠を隠滅した疑いを認定された例は枚挙に暇がありません。また、上記証拠開示手続きにおいて、捜査側が証拠を意図的に破棄した上で、当該証拠は存在しない、と回答した例もいくらでもあります。


たとえばこちらをご覧ください。江川紹子さんの、村木厚子「凛の会」事件法廷傍聴期からの引用です。なお、同事件では先日、共犯者に関して、当該事件について無罪の判決が出ました。

大阪地裁・村木厚子厚労省元局長の公判。午前中は、まず偽証明書を作った上村元係長の上司T課長補佐ら厚労省関係者2人の取り調べを行った高橋副検事の証人尋問。T補佐は凜の会について「覚えていない」と供述したが、調書を作成しなかったことについて理由を聞かれ

「記憶があるのに嘘をついていると思った。『記憶ない』という調書を作れば、忘れたということで通と思うんではないかいうことで、作成しなかった」と証言。供述の経緯を記録するために否認の調書を作成する必要があるのではないかと弁護人に迫られると……

「主任から『今日は調書を作る必要はない』と指示があった」と、前田検事から否認調書を作成しないよう指示が合ったことを認めた。ちなみに高橋検事も、取り調べメモは廃棄している。なお前田検事は、毎回裁判に立ち会い、検察官団の後ろからにらみをきかせている

高橋検事は、取り調べメモのうち調書にしたものはすぐ廃棄したが、調書化してない部分は、捜査が終了するまで保管した後廃棄したと述べている。その理由は「調書に書かれていない部分もあったので、それについて調書を作る可能性もあると思ったので、廃棄せずにとっておいた」と

いろいろ書かれているメモのうち、一部を廃棄し、一部をとっておく、なんてことがあるのだろうか、と疑問。

続いて、やはり複数の厚労省関係者を取り調べた牧野副検事やはり取り調べメモは廃棄した、と。凜の会について「覚えていない」と述べた者に対し、机を叩いたことは認めるも、「こちらにも考えがある」と威嚇したことは否定

牧野副検事は、弁護人反対尋問で、公印の管理状況を厚労省庶務係長に聴取し調書を作成したと証言。弁護側は「その調書は弁護人に開示されていない」と指摘。牧野証人は返答に困り、検察官席にその状況を目で訴える。裁判長、すかさず「検察官の方を見ないで」と注意
http://www.prop.or.jp/news/topics/2010/20100415_02.html

このように、検察官が、不利になるような資料を廃棄して、証拠開示に応じないようにすることすらあるのです。現に手元にある証拠であっても、不利かもしれないと考えれば、類型に該当しないと回答したり、特定が不十分であることをいいことに、そのような証拠は存在しないと回答することすらあるのです(つまり、弁護側としてはどのような証拠があるのかわかりませんから、あて推量でAという証拠を開示してくれ、といいます。これに対して検察官は、同じような証拠だけど厳密にはAではない、A’という証拠しかない場合、Aという証拠は存在しない、と回答するのです)。


こんな無駄な手続きを定めているせいで、最高裁長官も認めるように、被告人の勾留が長期化し、証人の記憶が薄れていきます。守られているのは、検察の利益だけです。


証拠をすべて開示させれば、公判前手続きは格段に迅速になります。
これほど、無駄に緻密な証拠開示手続きを定めている国は、世界でも日本だけです。



最高裁長官は、法曹三者に問題があるかのような談話を残していますが、問題があるのはシステムです。システムの担い手は、現システムにおいては最大限の努力をしています。ちなみに、私は、現システムにおいて、検察官が証拠開示に消極的になるのは当然だと思っています。組織として、個々の検察官が裁量で類型該当性を判断してしまうわけには行かないのももっともです。ですから、システムを変える必要があるのです。現システムでは公判前に時間がかかるのは当たり前です。そして時間がかかる理由も弊害も明確ですから、早急に制度を改善する必要があると思います。



ではまた。