徹底的にたたかれている指導者を擁護してみる

まず、岡田監督。

異常に叩かれています。当初は私もあのつまらないサッカーに辟易していましたが、今回のFW選出メンバーを見て少しわかった感じがありました。彼は、日本のFWに一切期待をしていないのですね。

世間では、やれ前田だ、田中達也だ、平山だ、佐藤だ、と言われていますが、彼らは日本の中ではかなりレベルが高い選手ですし、見ていてとても好きな選手ですが、そうは言っても、平山がぎりぎりオランダで活躍できた程度で、誰一人海外一部リーグで通用しません。
オシムが本で言っていたように、中盤やDFと比べて、FWのレベルは、海外と決定的な差があります。

誰がFWをやろうと個人の力で状況を打開してゴールを決めることは難しいでしょう。

そのため、岡田監督は、下手な理想を捨てたわけです。FWはゴールなんて目指さなくてよい。ひたすらボールを追っかけて前からプレスして前線からディフェンスして、また味方がボールを持ったらひたすら裏を狙ってがむしゃらにボールを追っかけると。その理想の具現者が岡崎なわけです。とても現実主義ですね。実際日本のゴールシーンは、トゥーリオ・中沢のヘディングか、中村・本田のフリーキックか、遠藤のPKがメインです。流れの中でのゴールは半ばあきらめているのですね。

面白くないといわれますが、それは日本のレベルが低いからであって、監督のせいではないのでしょう。日本のマスコミは、レベル以上のものを求める傾向にありますからね・・。監督も大変です。



さて、もっと大変なのが鳩山さんです。
鳩山さんが叩かれまくる理由が、実は私は今ひとつわからないのです。

よく言われる普天間の問題ですがあれって、何が一番問題なのですか?アメリカとの関係を悪化させたから?沖縄の人たちに下手な期待を持たせたから?それとも5月末日決着を目指すといったのに、6月に持ち越したから?
おそらく最後の部分なのでしょうね。朝日新聞も社説で「迷走」を批判していました。

うーん。この点私は今ひとつわからないのですが、鳩山さんは、最低でも県外、とずーっと言っていたと思うのですが・・。
そしたらアメリカとの関係が悪化した、オバマが口を利いてくれない、ワシントンポストが社説で一国の首相を馬鹿にした、といったようなことがひたすらマスコミで喧伝され、沖縄でのカリユシ姿とかが揶揄されて、鹿児島の島に移設をお願いしようとしたら、会ってもくれなくて、それをまたマスコミが煽って、結局国内のどの町も、よし、それならうちが引き受けようとは決して言わなくて、全てを沖縄に押し付ける形で頬かむりして、結局アメリカは海外移設を受け入れず、国内のどこも引き受け手がいなくて、桟橋方式などで調整しようとしたら何の意味もない、しかも無意味だ、などと批判されて、最終的に5月末までには出来そうもない、といったら公約違反だ、責任を取れ、政治家の言葉は重い、と批判され、5月末に沖縄案で何とかまとめようとしたら沖縄県民への裏切りだ、と。


なんというか、交渉ごとに際して、相手方の対応に応じて対応を変えるのを迷走といわれてしまうと、少なくとも外交は一切出来ないと思うのです。外交をする際に、相手国に自国のポリシーを明確に打ち出し、相手方少しむくれても強く気持ちを持ち続けるべきだと思っていました。というか、これまでマスコミはひたすらそういう論調で時の政権を叩いていたと思います。

鳩山さんは、沖縄の負担が重い⇒原則国外、最低でも県外、という明確なポリシーを掲げて、交渉に当たったわけです。そりゃ、アメリカとしてはむくれるのは当たり前です。他国に基地をおかせてくれるほうが便利ですから。それなのに、身内と思っていた国内のマスコミが、徹底的にアメリカ側に立って、アメリカ様の機嫌を損ねるなんてどうするんだ、海外にいかれては抑止力がなくなってしまうではないか、と騒ぎ立てたわけです。

本当に抑止力がなくなって、日本が立ち行かなくなるのであれば、鳩山さんが原則国外説を唱えたときにすぐさま反論しなければならなくて、そんなことは不可能だ、選択肢としてありえない、と社説を書くべきでした。

アメリカが騒いでからふわふわと世に出てきた抑止力論には、ですから科学的な違和感を感じざるを得ないのです。というか本当にアメリカが沖縄から出て行ったら日本が立ち行かなくなることが明確にわかっているなら、沖縄米軍問題とか問題ですらなくて、受け入れるしか選択肢がないということでしょう。その上で当該負担を誰が負うかという問題になるわけで、沖縄住民だけに押し付けるのは憲法問題ですらある。


少し脱線しましたが、鳩山さんの「迷走」は、交渉ごとにおける当然の揺れ動きであると思います。通常の売買ですら売り手と買い手がいるわけで、お互いの値段設定は、相手がどれくらいこの商品をほしがっているか、自分はどれだけ売りたいかに応じて、揺れ動きます。売買の場合は最終的には経済合理性で決まりますが、たとえば、結婚の際の苗字の場合はどうでしょう。自分としてはどうしても自分の姓を維持したい、少しくらい他の条件(住まいを相手の親の近くにするとか)をあきらめても、必ず自分の姓で結婚したい、という考えを形成して、強気の交渉をしているときに、自分の身内の親や兄弟が、あんたは相手を怒らせすぎだ、そんなに怒らせたら結婚できなくなるぞ、なんて言われても、何のためにそんなことを言うのかわからないです。
アイデンティティのためにも、必ず交渉には勝たなければならない、もし勝ち取れないなら結婚がだめになってもかまわない、と思っているのに、やいのやいの言われて、苗字を変えて強引に結婚させられ、それを以って迷走と言われてもねぇ。


こういうことを書くと、大体、国家存亡の危機と、家庭の問題を同じように扱うな。どれだけ大事なことかわかっているのか、みたいなことを言う人がいますが。いい加減にしてほしい。防衛力とか自給率とか、大げさに扱われているよ、誰かの利権のために。

ちょっと尻切れですが、ではまた。