表現欲について

表現欲について、少し敷衍。

つまりは、表現しないと、
いらいらして、うずうずしてしまう、
そういった意味で欲望ととらえています。


表現の自由の重要性をを説明する際に、
自己実現だの、自己統治だの、
そういった説明がなされます。

また、
表現をすることにより、
人に認められたい、一目置かれたい、と
そういう欲望が満たされるからこそ、
皆、表現をするのだと説明されることもあります。


私のイメージする表現欲とはそういった副次的な欲求を満たすための、
手段としての欲望ではありません。
表現そのものが欲望の対象であるということです。


飯を食わなければ、
睡眠不足になれば、
性欲を溜め込めば、
いらいらして、
体調を崩し、まっとうな生活が出来なくなるように、

表現欲を抑制し続ければ、
いらいらして、体調を崩し、まっとうな生活ができなくなるということです。
精神的に。


表現とはもちろん幅の広い概念で、
絵画や音楽はもちろん、
料理やスポーツなんかも表現に含まれるのでしょうが、
私のイメージする表現とは、もっと直裁的な、
つまりは自分の精神状態を文字に書き、声に出す、
といった表現です。



ネットが発達する前は、いったいどうやって表現していたのだろうかと、
思いて考えると、
昔の人はよく日記を書いていたなぁと思います。

あとは、踊ったり、歌ったり、井戸端会議で欲求を解消していたのかなぁ。
もしくはひたすらセックスしたり、
寝倒したり、肉体的欲求で補填していたのかも知れん。


なんにせよ、
ミクシーとか、
ツイッターとかをみると、
本当に皆、表現を楽しんでいると思う。
逆に言えば、そういった欲望をダイレクトに解消させるビジネスだから、
そりゃ栄えるわ。性風俗産業とかと実は似ている。
いや、実はミクシー等を見て、
初めて表現が欲望であることに気づいたわけですが。



自己実現とか、重要性を知らしめるとか、
そんなレベルではなくて、
ただ、表現する、ということに楽しみを見出していると思う。

服を選んだり、化粧をしたり、そういったものとも似ているとも思う。
言葉を選び、デコレーションして、きれいに仕上げて。


いずれにせよ、鬱屈した気持ちを解消するには、
運動か表現かな。


なんか、とりとめがない。
まだ、うまく「表現」できない。


では、また。