企業献金の礎 一言で

全然前に進まないから、
勢いでがーっと書く。


つまり、


1.企業献金って、おかしいだろう。


2.なぜかというと理由は2つ。


3.理由A(1)


理由A
企業は営利を目的としている。
営利を目的としない行動は原則としてしない。


するとすれば、それはCSRとか、メセナとか、
そういった社会的責任と呼ばれる活動としてだけだ。


それ以外の活動は、むしろしてはいけない。
だって、株主は営利のために投資しているのだから。
営利じゃない行動なんて、原則許されない。



4.理由A(2)


企業は、そこを逆手にとって、
企業献金は営利活動ではなく、社会的責任としてやっているのだ、
とのたまう。


つまり、政党という公共財・政治という公的活動に必要な資金を提供することは、
社会的責任の実現方法であると、主張するわけだ。


5.理由A(3)

でも、考えてみて欲しい。
特定の政党に寄附することがなぜ、社会的責任なのか。


例えば社会的責任と言うのであれば、以下のようにするべきではないか。



企業としての政治献金は、次の方法によるもの以外は廃止する
<直近の国政選挙における得票率にしたがって各政党に献金を配分する方法>



これ以外の方法による献金について、
どのように考えれば社会的責任と主張できるのか。
何を以って社会的、というのか。
共産主義になることは社会のためではないから、
自民党献金することは「社会的責任」であると?
思考停止はいい加減にしてくれ。


これで、ようやく、理由、1つ。


6.理由B(1)

次の理由。
これは、憲法的。


「個別の」政党への献金は、社会的責任なんかではなくて、
単なる政治活動、政治的行為である。


政治的行為の裏には、当然政治的信条がある。


ん?
政治的信条?



7.理由B(2)

政治的信条とは、すなわち民主主義の骨子である。


民主主義は、国民一人一人が、自らの考えで、
どのような政策が、政権が、政体が、
より自らを(そして出来れば他の人々を)幸せにするかを、
考えて選択する、そういうシステムである。


その際の原則に、
1人1票がある。

これを敷衍すれば、1人のもつ政治的パワーは、1単位でなければ意味がないということだ。


ん?
1単位?



8.理由B(3)

まず、企業に信条はない。あるわきゃない。
企業ってのは代表取締役(一般的な取締役会設置会社)が、
各種行動を決定するが、彼はあくまで株主から、
「経営のプロ」として委任を受けている。
「経営の」、つまり、「営利活動の」プロだ。


原則として、営利活動をすることのためだけに選任され、
そのために活動をする。取締役も同じだ。


そして、彼ら機関を通さなければ、企業は意思決定が出来ない。


では、「企業の意思」というとき、
営利を離れた「意思」があるのか。
それは「代表取締役の」意思ではないのか。

企業が政治的信条を有するなんて、論理矛盾ではないか。


これを、私は真理だと考える。
けれども、少なくとも昭和の最高裁*1にとっては、真理ではなかった。
また、現代の多くの学者も真理ではないと考えていると思う。

真理でない理由は、「企業も社会的存在だから」だと。
アンビリーバブルな理由っ。


企業にあるのは、あくまで営利への追及である。


もちろん企業風土や、企業文化など、カラー・個性はある。
そして、「より自らを幸せにする(より自らが儲ける)」
という思想はある。
これが、政治的信条と混同され、
最高裁は、企業にも政治的信条を認めた。


しかし、政治的信条はないはずである。


「私の」政治的信条が、「企業の」政治的信条と競争して
民主主義の結果、負けて、「企業の」政体が誕生する。


そこに人はいない。民主主義はない。政治的信条はありえない。
あるのは「営利」だけである。
または、「経営者の政治的信条」である。



9.理由B(4)


企業に政治的信条はない。
企業に投票権はない。


それにもかかわらず、企業は、
個人では決して提供できない額の献金を行う


政策に大きく反映されるのは、
いつも、1票「しか」有していない個人ではなく、
1000万円以上を献金する自動車会社であり、
電機会社であり、鉄鋼会社である。


「票」ではなく、「額」が政治を動かす世の中となる。



10.まとめ

以上2つの理由で、
私は企業の献金は、許されるべきではないと思っている。


それは、会社法的にも、憲法的にも、理論上許されるべきではないし、
また、今回は割愛したが、政治学的にも、許すべきではないと思う。




11.補足【理由Aに関連して】

社会的責任の充足でないならば、
本来株主は怒るべきだ。


献金って、なんだ。
営利じゃないじゃないか。
ふざけるな、と。
代表訴訟か。なかなか魅力的だ。


今だったら勝てるかもしれない。


でも、株主はあんまり怒らなかった。
怒ったのは、さっき挙げた八幡製鉄の株主とかで
(ちなみにウィキによると、「老弁護士」らしい)、
普通の株主は怒らんかった。


そもそも安定株主で、経営者よりだからというのもあるけれども、
それよりも・・。


だって、献金したほうが、儲かるのだもの。
経営者は営利企業として正しいことをしているのだもの。


社会的責任論と、営利追及論が、ミックスされて、
明らかに矛盾しているにもかかわらず、
絶大な、現実的な力を持って、


こうして、企業献金は許されてきたのです。




12.さらに補足


ちなみに、各国制度*2
によれば、ドイツやフランスやアメリカは、原則として法人による寄附は禁止されており、
イギリスの場合、こういった制度となっている*3


面白いねー。

献金は世界各国、問題なんだねー。



ではまた。



ようやく、とりあえずかけた。

でも、かなりはしょったので、おりをみて補充していきます。

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E8%A3%BD%E9%89%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6

*2:http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0454.pdf

*3:企業が年間200ポンドを超える寄附を行う場合には、貸借対照表に添付する取締役報告に、その寄附先と寄附金額を記載することが義務付けられている。