政権交代のメリット

この前の選挙で、やれ民主党自民党はどっちも一緒だとか
対立軸のない二大政党は意味がないだとか騒がれました。
政権交代ありきではなく、政策で判断するべきだというコメントもありました。


私は、政権交代の一番のメリットは、
過去をリセットできることにあると思っています。



もちろん、権力は腐敗するから、というのが一般的には一番大きい理由なのでしょうし、
私も理由としてはそれが正しいと思います。



でも、腐敗云々と言うのは、正直健全な野党があって、健全なマスコミがあって、健全な司法があれば、意外と何とかなると思っています(これらを確立させるより、政権交代するほうがよっぽど楽かもしれませんが・・・)。
むしろメリットとしては「過去のリセット」がでかいんじゃないかと。


つまりですね、政党だってそりゃ過去にいろんな過ちをするわけです。
量的に言えば、腐敗よりも過ちのほうが、明らかに多いし、また目に見えやすい。
本人たちも気づくわけです。あーやっちまったなーと。


また、過ちではないんだけど、時代が大きく変わってしまったため、
どう考えても継続するべきではない事業とか、計画とか、そういったものがあるわけです。
それもまた、本人たちも気づいているわけですよ、あーもうあれいらねーなーと。


これらは、腐敗(故意)と違って、悪気はありません(過失)。
両方とも権力には不可避だと思うけど、後者のほうが量も多いし、大小問わなければ4,5年政権を担っていればすぐにたまると思う。4、5年生きていれば、やっちまったなーとか、大失敗とかざらにあるでしょ?個人でもそうなんだから、政治なんてめちゃくちゃあるでしょ。



でも、そんなとき、同一人物(政党)だと、それを覆せないわけです。



「あれは、過ちでした。ごめんなさい。撤回します」とか、
「あれは、もう時代が変わったので無意味になりました。変更します」とかって、
やっぱりいえないわけですよ。
自分の人生のあれが過ちだった、ってそんな簡単にいえます?
自分のことならまだしも、人が絡むんですよ?
親が自分の子供に、「すまん。あのときお前を○○中学に入れたのは間違いだった」とかさ、
「すまん。お前をプロボウラーにしようと支援してきたのは時代遅れだった」
なんて、そんな簡単に言えませんよね。



昔の政策で犠牲になった人や、逆に既得権を得た人たちは、
「ふざけるな、ごめんですむか、時代が変わったですむか、
あんだけ私に約束したじゃないの、楽な暮らしをさせるって」
となるわけですね。
そうなると、男は弱いわけです。


ですから、過ちや、時代の変化に気づいて、政策の転向が不可欠であっても、
その政策を実行した当の本人ですから、なかなか変えられないわけです。


どんなに若手やら反主流はやらがなんと言おうと、やっぱり同じ政党ですから、変えるには異常なエネルギーが要るわけです。
昔は派閥間の政権交代で何とかやっていたらしいですが、そうは言っても同じ穴の狢ですからね。




ここでポコンと政権が交代するとどうなるか。
そりゃ当然怒る人は変わらず怒ります。
けども、新しく政権を担当した人は、全く引け目なく、堂々と、もちろん責任ももちながら、
「あの政策は誤りでした」「あの政策は時代遅れになりました」と言い切れるわけです。
そりゃ、「同じ政府じゃないかー。無茶言うなー」と怒る人は怒りますが、
その怒りのパワーも、やっぱり当の本人に対して言うよりも、弱まるわけです。


なおかつ、新しく政権を担当した人としては、
「あの政策は誤り」とか「あの政策は時代遅れ」とかって言うと、
そのまま旧政権への批判にもなるわけです。


一石二鳥ですね。


というわけで、政権が交代すれば、誤りが改善されたり、時代にそぐわない政策が修正されたりする。
そういった大きな効果があるのではないかなーと、多分政権交代を望んだ多くの国民は気づいていたのだと思う。私はそう思ってたし、そうじゃなければ、あんなに多くの人が、民主党の政策には不満・不安があるけれど、とりあえず政権交代って思わなかったんじゃないかな。



八ツ場ダムとか、羽田・成田とか、年金問題とか、人権条約関連とか、
政権交代して、明らかに今まででは出来なかった政策が、矢継ぎ早に出てくる。
民主党の気合と言うか、肝の据わり方(特に前原国交大臣ね)にも敬服するが、
私は政権交代の大きな力にも日々感動している。



では、また。