気づいたら○○

気づいたら、こうなっていた、
気づいたら、こんな状況に追い込まれていた、
なんてことが世の中には多々あるかと思います。

気づいたら結婚してた、気づいてたらこんな仕事をしていた、
気づいたらあいつと友達になっていた、などなど。
ま、もちろんちゃんと最初から気づいているんですが、
この言葉の意味は、
1.意識して、意図して、目標として、○○となったわけではない。
2.(だから)いつからか、わからない。時的な区切りがない。


2にかんしては、結婚とか、仕事に関してはもちろんあるのですが、
長い目で、70歳くらいになったときに振り返れば、多分その辺の時間軸はゼリー状になっていて、明確な区切りがわからないんでしょう、多分。じっさい、既に10歳の頃とかあんまり覚えていないし。



で、最近、気づいたら○○があるのです。


それは、
「気づいたら、仕事人間になっていた」


この場合の、「仕事人間」は、私にとってネガティブな意味です。


高校・大学時代、モーレツがさげすまされて、家庭を顧みない親父バッシングが始まりました。
私もご多分に漏れず、家庭を顧みず、家事をせず、子育てを妻任せにし、趣味もなく、友達も作らず、朝から晩まで仕事をしているような人間にはなりたくないと考えていました。
当時の漫画やドラマには、そういった男を風刺又は批判する内容のものが多かったですし、
実際仕事をしたことのない私にとって、なぜそんなに仕事だけをするのか、理解できなかったのです。


いま、私は、確実に「仕事人間」です。
基本的に深夜2時頃まで仕事をし(朝は10時と遅いですが)、
土日もほとんど仕事で、仕事以外の土日の過ごし方は、ゴルフか、酒宴か結婚式です。


趣味はあるといえばありますが、ないとは言えばなく、
家庭(恋人・子供)ももたず、(自分のための)家事もせず、朝から晩まで仕事をしています。


けれども、全くいやではありません。


あれ、これって・・・?
きゃ〜〜。



と最近「気づいた」のです。
まさに、「気づいたら仕事人間」です。


でもなんとなく、自分の中ではまだ腑に落ちません。
なんちゃって「仕事人間」のような気もしています。
なぜなら、
1.「意識的に仕事人間を目指した」わけではないからですね。


あと、なんとなくもっと忙しい人が周りにいて、
自分を仕事人間なんて考えることがおこがましいからです。




ちなみに、いま自分が「仕事人間」予備軍であることに気づきつつありますが、
そのことにさほど嫌悪感は抱いていません。


それはやだなぁとは思っていますが、嫌悪感ではありません。
なぜでしょうね、これは。
だって、高校・大学時代の自分はそれに対して嫌悪感を抱いていたわけですから。
答えとしてありえるのは、
A:考えが変わった
B:人は自分を「嫌悪」することはない。


私はAかなと思っています。
昔は、そういった仕事人間は嫌悪の対象として極めてデフォルメされた描かれていて、彼らの仕事の風景とかは全然叙述されていませんでしたから、彼らを誤解していたのかもしれません。で、実際身近に彼ら(=仕事人間)を感じるようになって、というか自分が仕事人間になりつつある状況で、なるほどこういう楽しみがあるから人は仕事人間になるんだ、といった実態を知るようになって、嫌悪の対象から外れたのだと思っています。


でも、Bというのも考えるとありえるのです。
私の仮説はこうです。
人は価値観の相克で、自分を「嫌悪」することはない、「嫌悪」は極めて強い批判的感情であり、自分がそうはなりたくはないという対象に感じるものである。つまり自分を価値観の相克で嫌悪しなければならないような状況が近づいたら、人はそんな自分にはならないよう努力するので、嫌悪はしないというものです。


・・
・・・
違いますね。
正解は、こっちだと思います。
「人は価値観の相克により自分を嫌悪しなければならないような状況に置かれたら、自分の価値観を変えるものである。」


つまり、
Aなぜならば、B
でした。


ちゃんちゃん♪


・・
・・・
うーむ。ちょっと考えなおさにゃならんかな・・。
初心忘れるべからず。
仕事人間、なるべからず。



では、また。