死刑の「執行」とは何か。

死刑の「執行」と言えば、何を思い浮かべるでしょうか。
刑法は、皆様の想像通りの条文を規定しています。

刑法11条1項
「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。」


日本の死刑は絞首刑です。絞首を以って、執行します。
死刑については、色々と思うところがありますが、
今回は、死刑そのものの話ではなくて、最高裁がどれほど我田引水的な判断をするか、と言うことを「死刑の執行」という具体例を用いて書きたいと思います。






少し脱線しますが、私は、法律を身近なものとして感じて欲しいと思い、このブログを書き始めましたが、その延長として、裁判所の判決が、論理にも常識にも反する場合があるということを伝えたいと思っています。

恐らく9割の判決は極めて論理的で、常識的だと思います。
けれども、1割の判決は論理か常識のどちらかに異常が見られる判決です。
この点を何とか伝えていきたい。裁判所も異常な場合がある、それを認めてから、異常な判決を出さないようにするためには、司法をどのように制度設計をするべきか、という考えが生まれてきます。
裁判所は間違うはずがない、とか、間違えるにしてもそれはめったにあることではない、とか、間違いではなく考え方が違うだけだ、とか、そういった考えを持つ方に、少しイメージを変えてもらいたい。
むしろ、そういった考え方をもつ方は、なぜそんなに信頼されるのか、その自分の信頼の根拠を疑って欲しいと思います。裁判所は過ちを犯さない、と思う方は、なぜそう思うのでしょうか。
司法試験が難しいから?じっくりと考えているから?人格的にすばらしいから?頭がいいから?


少なくとも、私は、人生で、過ちをしない人間には1人たりともあったことがありません。
そのような人間がいると信じることは、もはや信仰です。
信仰をベースに、世の中の制度を捉えることは、危険です。
信仰の対象が、「権力」である場合には、いわんをや、です。






さて、戻ります。


かつて帝銀事件という大量殺人事件がありました。
銀行に、厚生省の役人の名刺を持ったおっさんが来て、
「近所で赤痢が発生した。今すぐこの予防薬を飲まないと危険だっ。」といって、行員に薬を渡し、
全員がばたばた倒れたあとに、悠々と現金と小切手を持っていったと言う事件です。
なお、詳しくはこちらを。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%8A%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6


合計12人が死んだ、歴史に残る事件です。
こういった歴史に残る事件は、どれも心理的な虚を突いていますね。三億円事件もそうですし。最近の振り込め詐欺もそういった点で歴史的ですね、個別の事件ではなくそのシステムが、ですが。



帝銀事件は、事件自体も歴史的でしたが、その後の展開も歴史的でした。
犯人とされ、逮捕・起訴・死刑判決となった平沢貞通は、既に獄死していますが、
今もって冤罪が疑われています。というよりも、「ああ、帝銀事件ね。当然冤罪でしょ。」くらいの感覚で受け止められています。「あの時代は仕方なかったよね。」というような非常にライトな感じを受けます。冤罪でしょ、と軽く扱われるような死刑冤罪というのは、恐ろしいものです。冤罪と多くの人が考えているのに、司法では冤罪として扱われない。むしろ逆じゃないのか、と思います。
世の中全てが有罪だと思っていても、司法は無罪としたいう事件なんて聞いたことがありません。その時点で、「司法の意義があるのか」、「世論が見抜けない冤罪を、精密に見抜くことのみを究極的な目的として司法は存在するのではないのか」、という思いもありますが、とりあえずそこはおいておきます。



今回は、書きながら、ちょいちょい脱線してしまいますね・・。それだけ大きな事件ですね。


さて、今回は裁判所に少なくとも論理がないというお話です。





平沢氏への死刑判決は昭和30年5月7日に確定しました。
ですので、そこから6ヶ月以内に執行されることとなっております

刑事訴訟法475条
1項
「死刑の執行は、法務大臣の命令による。」
2項
「前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。[後略]」



覚えておいて欲しいポイントがあります。

ここまでで二つの「執行」という言葉が出てきました。
死刑の執行は、絞首刑によるという刑法11条と、
死刑の執行は、法務大臣の命令によるという刑事訴訟法475条です。
この二つはばっちり一致していますね。判決が確定してから六箇月以内に、法務大臣が、死刑執行の命令を下して、それにより死刑が絞首刑によって執行される、という流れです。

これは、論理的に・常識的に、当然ですね。





さて、帝銀事件は、冤罪が疑われていました。ですので、ときの法務大臣は、なかなか死刑「執行」の命令をしない。ウィキに田中伊佐治のエピソード(ありゃ冤罪だろと言って、死刑の「執行」命令をしなかった)が載っていますが、そんな感じで誰も絞首刑としませんでした。




そんなこんなで、平沢氏は、獄中で放置されます。最終的に昭和62年に獄死するのですが、昭和30年から昭和62年までの間に、一つの分岐点がありました。


以下の条文を見てください。

刑法32条
「時効は、刑の言い渡しが確定した後、次の期間その執行を受けないことによって完成する。
   一 死刑については三十年
[後略]


「刑の言い渡しが確定した後」・・・本件では昭和30年5月7日ですね。
「執行を受けないことによって」・・・死刑の場合は、絞首刑でしたね(刑法11条)
「死刑については三十年」・・・・・昭和30年5月7日から30年は昭和60年5月6日です。


というわけで、昭和60年5月6日を以って、時効が完成するはずです。そして時効の効果は以下の通りです。

刑法31条
「刑の言い渡しを受けた者は、時効によりその執行の免除を得る。」

つまり、時効が完成した場合は「執行」が免除されます。「免除を得る」ですから、得られるかもしれないとか、得る場合もあるとかではなくて、「得る」のです。つまり、免除です。
というわけで、時効が完成すれば死刑判決の執行は免除されて、平沢氏は釈放されることになるのです。



しかし、最高裁は、釈放しませんでした。


最高裁の論理は、とても強引なものでした。
上述の通り、刑の執行は絞首刑とする、とか、法務大臣は刑の執行を命令するとか規定されており、
また一般的にも刑の執行とはまさに命を絶つことにあることは明らかですが、最高裁は、なんと、

32条にいう執行には、執行のために監獄に留置する状態も含むと言ったのです。

拘置は死刑の執行行為に必然的に付随する前置手続であるから、死刑の確定裁判を受けた者が右規定に基づいて拘置されている間は、確定裁判の執行が継続中の状態にある

これってすごいと思いませんか。死刑の執行は絞首刑だけでなくて、絞首刑のために牢屋に入れている状態も含む、といったのです。この「執行」の定義からすると、11条2項の「死刑の言い渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する」は全く意味がわからなくなります。「執行」(11条1項の意味の執行)に至るまで、「執行」(32条の意味の執行)するということになりますからね。少なくとも極めてわかりにくいことは確かです。


こういうすごい判決を前に、わかった風の学者や裁判官は、11条と32条と刑事訴訟法の条文は、法律も趣旨も異なるのだから、同じ「執行」という言葉の意味が異なってもかまわない、とか32条のっ趣旨からは執行が継続中の状態も含むのだとか、わけのわからない衒学的な用語やら論理を駆使して説明を図ります。


そして、予想以上に法律家の中にはそういった人が多いのです。法律を勉強した人しかこういった異常な判決に触れる機会は少なくて、他方で法律を勉強すると、こういった異常な判決が実は法律界ではまっとうであってそれこそが正しいのだと言う人が増えてしまいます。


ジャーゴンや業界内の内輪話と一緒でして、異常な論理の最高裁判決の論理的正当性を自分はわかっている、といったようなことがある種の自慢や能力と勘違いする土壌があるわけです。


どう考えても異常な論理であっても、最高裁が言うのであるから何かしらの裏があるはずだ、そして自分はそれを知っている、という特権意識なのでしょうか。または、最高裁が異常な論理を駆使しているときに、あれは異常だ、と叫ぶのは素人くさいと、「素人は一見異常に思えるかもしれないけどね、実はあれはね、法律的には異常でもなんでもないんだよ」というような態度をとることにより、特殊な業界を維持・継続して、資格の優位性を守ろうとしているのだと思います。


この最高裁の判決は、明らかに異常です。異常な論理には、異常だという以外に対応はないはずです。裸の王様を見て、あれは裸ではない、ファッションだ、と訳知り顔で言っている人と一緒です。変なひげとか生やして、自分も変なファッションしている人に多いですよね。ファッション界なら解釈次第でどう考えてもいいのですが、法律でそういうことをされてはたまったもんじゃありません。裸だといいましょう。そうして初めて、なぜ裸になったのかを分析することが出来ます。王様は、取り巻きにだまされて裸で外に出ました。では、なぜ最高裁はこんな判決を出したのでしょうか。


だって、11条で、死刑は絞首刑で「執行」すると書いてあって、32条で「執行」を受けないことにより完成すると書いてあるんだから、素直に【絞首刑=執行】と考えたほうが楽でしょ。簡単でしょ。
なぜでしょう。



結論は実は、王様と同じくシンプルです。外に出したくなかったからです。結論先にありきでなければ、こんな無理な論理操作はしません。まず、先に、この人を外に出したくない、という結論が先にあったのです。その結論に向けて、強引に操作したのです。



では、なぜ最高裁は出したくなかったのか。多分2つくらい理由があります。

A:自分(最高裁)が死刑判決した人が死刑を受けないまま外に出すのは自分の非を認めるようでいやだ。
B:「犯罪をして死刑になっておきながら、外に出るなんてけしからん。」という気持ちがある。



Aはまあ、駄々っ子ですね。

Bもおかしいわけですよ。
だって、30年も放置されているんですよっ。普通なら6ヶ月以内に「執行」されると法律に書いてあるのに異常事態が続いているわけです。で、最高裁は、行政が6ヶ月以内という法律の定めを無視するなら、自分も30年以内という法律の定めを無視しないと、バランスが取れない、とか思ったんだと思うんですよね。6ヶ月というのがしっかり機能していれば、30年というのは異常だからまあ普通ないわけですから。


でもですね。今回のような事件と言うのは25年くらい放置された時点で、行政も、立法も明らかに気づくわけです。やべぇ、30年経っちゃうよ、と。


25年くらいのところで、もしやばいと思っていたなら、行政は死刑を執行すればよかったのです。
でも行政は(冤罪だと思っているからかどうかわかりませんが)執行しなかったわけです(ちなみに私は死刑廃止派です。すればいい、というのは行政が困るなら、という前提です。)。


で、立法としては、やべぇよ、行政執行しないよ、とそれをみてやばいと思ったならば、時効を延長するか、廃止するか、文言を「執行」から変えるか、何かしら対応が取れたわけです。極めて簡単に。でも立法もそれをしなかったわけです。


じゃあさ、外に出すことになっても仕方ないでしょ。そこで政治的な配慮を持ち込んじゃだめだよ。そりゃ政治的にはわずらわしいことに巻き込まれずにそっとしたほうがいいさ。最高裁としては、立法と行政に押し付けられた、という気持ちなのかもしれないさ。でもさ、そりゃだめだよ。最高裁がそんな政治的な判断するんだったら、最高裁の信頼は地に落ちるよ。


法律に規定されていて、昭和30年から刻々と時効が進行していて、30年経ったから、ようやく出れると思ったら、わけのわからん解釈で時効は成立しない、といわれるなんて、まじで彼らの好きな法的安定性からしたら信じられません。平沢氏の期待を木っ端微塵に吹き飛ばしたわけです。常識で考えて、平沢氏は29年くらいから、指折り数えたと思います。昭和60年5月6日は本当に恐怖だったともいます。ここを乗り切れば、死刑は執行されない、とそう思いながら刑務所で生きていたわけです。また、法律が変えられるかもしれないと言う不安も常にあったでしょう。



そして、死刑も執行されず、法律も改正されず、念願かなって時効だと思ったら、全く意味のわからない論理でそれを否定する。本当に絶望です。こんなことが許されていいのかわかりません。そしてなぜこんなことをする必要があるのか全くわかりません。法や判例の期待可能性とか、えらそうなこと言うけど、完璧に無視ですよね。


私も、例えば法律が想定すら出来なかった事件がおきたとき、何とか法律を駆使して、少し無理目の解釈をしてある人を罰しようという動きがあることはまだ理解できます。それすら本当はおかしいとは思いますが、まだ、いいでしょう。ボディーガードが拳銃持ってたら、自分も拳銃不法所持で逮捕とか、すげー論理を駆使するなとは思いますが、何とか理解は出来ます。


でも、この件は、どんなに少なく見積もっても5年は猶予があった。すこし目端の利く人なら10年前には気づいてた。あ、もう20年たっちゃった。あと10年で時効だ。どうしよう、と。それを行政・立法が放置をしておきながら、その苦しみを全て平沢氏にぶつける最高裁の感覚というのは異常だと思います。そこは立法・行政の責任でしょう。かれらが意図的にか、過失でか、放置していたのですから、そのまま刑法32条を適用しましょう。なぜ、彼らの放置にはこれほど甘いのでしょう。被告人や国民のミスには異様に厳しいのに。
ときに刑事事件における最高裁は、全く人権の砦ではありません。単なる法務省出先機関です。



そして、一般的に裁判所は、ある人を外に出さないことについては情熱をもつけれども、逆はほとんど興味がないということですね。




以上です。
では、また。