労働問題≒共産主義VS資本主義?

日本では、どの労組も、ずっと、労働問題を扱わずに、政治問題を扱ってきた。
というか、労働問題と政治問題を一緒のものとして、又は別のものだとしても一緒の現象として扱ってきた。


労組の人たちとか、労働問題に熱心な弁護士は、労働問題がおきると、なぜか資本主義批判とか、
大企業たたきとか、そういった趣向に走る。アメリカ批判とか、自衛隊批判とか、最終的には憲法9条を守れとか・・。
意味不明。わけようよ、そこは。どちらも主張として大事だと思うけど、わけようよ、そこは。問題がごっちゃになっちゃうよ。




労働者が不当に解雇されたときに、憲法9条は全く/ほとんど関係ないだろ、
という感覚は彼らには通用しなくて、
「同じ原因(=アメリカ追従的資本主義)のせいで、彼は不当に解雇されたし、
憲法9条は改正されようとしている。」
と考えるようです。
まあ、ここまでは一つの主張なのでいいんですが、勘弁して欲しいのが、


「だから、憲法9条の改正(彼らはよく改悪という造語を使いますね)を阻止すれば、
彼は不当に解雇されない/解雇されなかった」


というなぞの論理を本当に信じていそうなところです。



私の大学では、こういったまじで論理もわからんし、美的センスもないし、人に訴える力のかけらもないビラや看板がごろごろしていました。ただ、私は彼らのビラや看板を読むことが好きでした。
3分の1くらい(労働問題のところとか)はなるほどなと思うことが書いてあって、その後に急に論理が変わるのが面白くて、うーん、やり方さえ変えたらもっと面白い方向に持っていけるだろうになぁと思っていました。


弁護士でもこういう人は多いです、大学でああいうビラを書いていた人の卒業後の進路って、弁護士か共産系の政治団体に属するか、転向して大企業の労務担当とかやるか、くらいなんだろうなと思うのですが、弁護士にはかなりの数のこういう人がいます。そういう点で弁護士の思想フリーな点はとても気に入っています。



で、彼らは、相変わらず、大学時代に私がみたビラとほとんど同じようなビラを弁護士事務所に配ってきます。彼らはマーケティングとかしないのかな・・。代理店とか使わないのかな。
あ、彼らにとってマーケティングとか代理店は資本主義の傀儡なのかな・・。


ビラの本旨は、自分の主張を人の心に訴えかけることにあるはずで、それが出来ないビラは紙の無駄遣いだとおもうのですが、彼らはもの凄く人の心に訴えかけるのが下手です。いい大人・弁護士で、あんな説得力のない論理性のかけらもないビラをみて、うん、そうだ、自衛隊は問題だ、とか考えなおす人っているのでしょうか、というか、そんな弁護士いやだ。



いや、もちろんある程度年をとってから考え方が変わることはしょっちゅうあると思いますし(この前書いたように、私は忌み嫌っていた仕事人間になりつつあります・・。)、面白い論文とかブログとか読むと私なんかすぐに考えが変わったりします。
でも、あのビラではありえない。全く別の出来事でも、いつも同じ切り口で同じ調子で、同じレイアウトで同じ書き手で・・。

彼らは傲慢だと思います。もう少し人を説得するための努力をすべきだ。自分たちの考えていることは正しい、すばらしい、論理的だ、と思っているからこそあそこまで熱心に自分の考えを広めようとしているのだと思う。だとすれば、その伝達手段の構築に全力を尽くすべきだ。「こんなにビラを配っているのに考えを改めないなんて、これだからいまどきの若者は世の中の仕組みがわかっていないし、資本主義の問題点がわかっていないし、やっぱり弁護士増員はすべきじゃなかったんだ」、って思ってそう。勘弁して欲しい。


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ただ、彼らのビラが説得力なくて、紙の無駄遣いをしている程度なら、まだ許すけど、本格的に勘弁して欲しいのは、彼らのせいで、世の労働問題・消費者問題・環境問題に、手垢がついてしまったことっだ。


もちろん、かれらがこれらの活動を熱心に行ってきたおかげで、多くの画期的な判例や法律が出来たり、世の中のシステムが改まったり、考え方が変わったりしたことは認めるし、敬意を抱く。


でも、彼らが純粋な労働問題を、常に・必ず政治問題とセットで主張してしまったせいで、
「労働問題=共産主義VS資本主義」という図式が出来上がってしまったことは本当に問題だと思う。
最近ようやく湯浅誠氏らの努力によって、労働問題が政治問題と切り離されそうになっているけど、
それでも、今度は労働問題≒貧困問題≒格差問題みたいにまた、少し変な形になっていると思う。


労働問題のデモのときに、小林多喜二とかが出てくるのって、なんかなぁと思うわけで、まあ、デモのときはいいか、あれはやっぱり政治活動だし、デモをするようなのってマクロ的な労働問題だから政治問題にしちゃいがちだし。そういう意味では、マクロ的な労働問題が政治問題につながってしまうのはまだわかるし、そのときに共産を主張していしまいたくなる気持ちも、わからんでもない。


でも、少なくとも、(1)ミクロ的労働問題に共産を持ち出すのはやめよう、つまり個別の社内労組で共産的な、政治体制打倒的な話を持ち出すのはやめよう。(2)マクロ的労働問題を検討するときも、ぐっとこらえて共産的な主張をするのは控えよう。政治的な解決が必要な部分はあると思うけど、もう少し現実的に労働問題を捉えよう、民主政治下で共産主義的主張を労働問題で主張しちゃうと、最終的に労働問題の解決に邪魔になるから、やめたほうがいいよ。というか今から日本で共産主義を実現するのは武力革命以外は不可能だと思うよ。うわ、まじか、武力革命とかマジでやめてほしい・・。


ちなみに小林多喜二は面白いと思うし、あの時代はやっぱりすごかったと思う。あと、共産主義自体には興味もあるし、学問としては面白いと思う。おっと脱線。


つまりさ、なるべく切り離そうよ。労働と共産を。
共産主義を採用しなくても労働問題を解決する手法はたくさんあると思う。
資本主義の枠内で解決する手法を探そうよ、労働問題は。
つい、マクロ的な労働問題を政治的に考えようとすると、すわ、共産、ってなるでしょ。


何が言いたいかというと、労働問題が共産主義対資本主義の図式になっちゃったせいで、日本の60歳以上の人たちには、労働問題にアレルギーがある人が多くて、そういった人たちが法律作ったり最高裁で裁判したりしているので、労働問題をしっかりと解決する意欲に欠けてしまっていると思う。
もう、解雇権濫用の法理は限界が来ている。あれを維持するということは、正社員か否かという、自分が入社するときの景気という偶然的な事情で、一生が変わるということだ。


大手でも多くの若者が派遣としてしか採用されなくて、正社員を増やさないようにしているということからもわかるように、今後10年で新入社員はほとんど派遣になっちゃうよ、あの法理維持していると。企業は首に出来ないから若い人は仕方なく派遣にしているんだよ。逆に高齢者雇用安定法なんていいう法律が出来て、希望者は原則全員65歳まで雇用しろ、とかなってさ、やばいよ労働問題。



正社員を首にするのはだめとしているから、やむなく派遣を採らざるを得ないのであって、
正社員をある程度の理由があればもう少し簡単に首に出来れば、派遣もいらんでしょ。
派遣法を撤廃とか言っているけど、そうなら解雇権濫用の法理も考え直すべきだと思う。



もちろん中高年で首になってしまったら、一家の大黒柱が首になるので大変、という気持ちはとてもわかるが、ある意味それは家庭内リスクヘッジが下手すぎるということだと思う。まあ社会が女性に男性並みの給料を支給することをいまだに拒んでいる中で、家庭のせいにするのは酷だと思うけど。


というよりも、「大黒柱が首になるのは大変」だからといって、若者に職を与えなくていいって、どういうことだ。どっちも重要なんだから、ベストバランスを探ろうよ、せめて。今の状況は異常だよ。よっぽどじゃないと首にならないという状況がどれほど安定的で安穏とした生活を送れるのだろうと思うと、想像するだけですごい。ギリシャ時代の貴族みたいだ。彼らくらい芸術作品や文学作品を残して欲しいものです。そりゃ一度握ったその特権は話したくないだろう。これは地方公務員が最強だけど。



以上です。長くなりましたがまとめますと、
(1)労働問題はとても大事な問題だと思います。
(2)日本の労働問題は変。もう少しバランスの良い解決を。
(3)それは共産主義的問題提起が、実務を占めちゃっていたからだと思う。
(4)労働問題と共産主義を切り離しましょう。
(5)こういうことを書くと、「すわ、日帝の手先」、とか言われるけど、私自身はどちらかというと労働者側にシンパシーを感じるほうです。



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ここまで書いて、読み直して、気づきました。
(4)は無理ですね。共産主義の人たちが労働問題を利用してので。というか昔は、労働問題を考える人たちは共産主義しかいなかったのかな。
うーむ。そうなると困ったな、そもそも共産主義確立のために労働問題を訴えている人たちに、共産主義的な主張を控えようといってもな・・。


つまり、共産主義的な考え方には立たないけど、労働問題を労働者側の視点で解決策を模索している人たちが出てこないといけないのか。つまり湯浅氏頼みか。
でもそれって普通だよね、本当は。労働問題で苦しんでいる人たちって別に全然共産主義じゃないと思う・・。ヨーロッパでは、社会民主主義が強いし、イギリスでは「労働党」っていうくらいだしね。

結論変更

日本にも労働党をっ。







では、また。