人生の目標をうまく表現することに挑戦してみる。

日々、色々な機会で、「あ、これをブログに書こう」と思うことがあるのだけども、いざPCの前に向かうと忘れている。でも、昔(高校生・大学生くらい)は、「あ、これは面白い。」とか「これは人に伝えたい」と思っていても、その手段に通暁していなかった(ブログというシステム自体はあったんだと思う)ので、とりあえず日記に書きとめていた。


日記って言っても全然日々の行動は書いていなくて、その日に思ったことや、気になったことを、出来る限り文章として(つまりメモではなく)、書き留めていたもので、まあ、ブログ的な感覚だったのだと思う。

1年近く書いていた(全然毎日じゃないから、全部で50日分くらいだと思う)から、かなり大切にしていた。


アジア旅行中、最終日に寝過ごして、あわてて飛び出したせいで、枕もとの日記を忘れてしまったのは、人生で4番目くらいの痛恨事です。空港で気づいて、空港の職員に全力でお願いしたけど、梨の礫、そりゃそうだ。


ん?なしの礫ってなんだ?
とおもって検索。http://gogen-allguide.com/na/nashinotsubute.html
なるほどね。
梨と無しをかけているのね。



さて、ミクシーやツイッターのおかげで、かなりブログへの障壁が低くなったため、
今回ブログを書いているのだけども、やっぱりあの日記に比べたら、まだまだテレというか、人に見せている感覚が強い。まあ、そりゃそうなんだけど。


人に見せる表現と、自分にだけ見せる表現との違いを、可能な限りなくしていきたい。
それが人生の一つの目標です。
人に見せる顔と、自分にだけ見せる顔、と言い換えてもいいかな。
人に伝える自分の思考と、自分の中に生じる思考、と言い換えてもいいかな。


この二つは、普通は使い分けるのだと思うし、そうじゃないと人生やっていけない。使い分けられないようなヤツは、むしろだめ人間なんだと思う。
でも、それってつまり自分にだけ見せるモノが、人に見せられないモノだからであって、人に見せられるモノだけを自分の中で形成していけば、両者を近づけることに問題がなくなっていく。



つまりは、「正直でありたい」ということです。
・・・
ん?この結論であってるのか・・?


こっちかな。
つまりは、「内面を全てさらけ出しても、耐えうるくらいの人間になりたい」ということです。
・・・
ん?何か、ちがうな・・。
だって、これだと、もの凄い面の皮が厚けりゃいいじゃん。独裁者でもいいけど。



これかな。

つまりは、「人が許容するくらいの、内面を持ちたい」です。
・・・
うーん。
人の許容度任せだな。


難しいですね。
人に見せられるモノ、といっている時点で、評価軸を他者に預けているから、
自分の目標は人に認められることです、といっているのに等しい。
でも、ニュアンスは違う。
ニュアンスは、自分の考える人の評価軸に耐えられるような自己を形成すること、だ。
評価軸は、結局自分の中にあるということですね。


というわけで、結論。


「自分に恥ずかしくない自分でいたい」です。
・・
・・・
・・・・

違うっ。違うな〜。
うーむ。
例えば、性癖とかって自分に恥ずかしくはないけど、人には言えないでしょ(いやそんなないけど)。

ということは、
自分に恥ずかしい≠人にさらけ出せない
ではない。


人にさらけ出すというのは、もっとそのオープンマインドな点も一つの評価軸なわけだ。
つまり、私の目標は2つに分解できる。
「自分に恥ずかしくない自分でいること」

「どんなことでも、自分に関することであれば、他者にオープンにすること」
だ。


匿名ブログ書いてて、なに言ってるんだか・・。
ふう。
道のりはながい、一歩一歩進め、
みたいな名言なかったっけ。



では、また。