黒船を見ずに、尊皇攘夷って言うな。

ツイッターを始めるまで、私はツイッターをなめていました。
2chと何が違うの?ミクシーと何が違うの?ブログの集まりでしょ?
有名人がやってるからって、だから何?アメブロだって同じでしょ。etc


結局、私はやるまで同じことを言い続けていたのであって、それでもはじめたのは、友人から、とりあえずやってみれば面白さはわかるからはじめればいい、と言われたからでした。その友人はツイッターのアドレスをクリックすればいいところまでお膳立てをしてくれて、本当に有難いものでした。


で、結局やってみて、圧倒的な面白さを痛感しているわけですが、私に紹介してくれた友人と同じように、私も別のツイッターをはじめていない友人に精一杯進めているわけですが、全く動かない。


というか、弁護士コミュニティは、かなり多くの人がツイッターをやっているのですが、大学・高校時代の友人に尋ねると、ツイッターをやっている人が、劇的に少ないことに衝撃を受けます。同じ日本で、同じ世代で、同じように生きてきたのに、この差は何だ、と。で、ツイッターをやらないコミュニティの人々は、少し前までは、「何それ?」と言っていましたが、最近(ダイヤモンドがでた時期くらいからでしょうか)、むしろツイッターを少しあざけるように言います。

「あぁ、あれね。何が面白いの?」


わかる、わかるよっ。俺もそうだったからっ。


でも、なかなか面白さを伝えることは難しく、結局「とりあえずやってみて。で、俺をフォローしてみて。つまんなかったら、やめていいから」と言います。でも、中には、「そんな暇がない」とか、「いつやるの」とか、「何の意味があるの」とか、「知らない人のつぶやき聞いて、何が面白いの」とか、「戯言でしょ」と述べて、あざける人がいます。


私自身は、ツイッターを広めて1円の得にもなりませんし、別に当該彼・彼女にツイッターをはじめてもらわなければ困るわけでもありませんから、そこまでさげすまれれば、それ以上は誘いません。


私がツイッターを薦めるのは、それが別世界への入り口だからです。


明らかにこれまでとは異次元の時空感覚です。ある時刻に、世界中の人が、別々の視点で捉えている世界を、私がゼロコストで享有できるというのは、極めて画期的だと思っています。

表現内容が、その内容によってのみ評価される世界。
すばらしい表現であれば、すぐさま多くの人にRTされ、当該つぶやきが多数の人に見られることにより、評価者からフォローされ、以後の表現がより多くの人に伝わることになるという、表現の自由市場の実現に期待を抱かせる世界。


インターネットの発明により、100年間分離されてきた表現者と受け手の距離が、質的に半減しました。とはいえ、それは、マスコミと一般人という二層分化から、マスコミ・αブロガー等のミニコミ・一般の表現者(ブロガー・ミクシーユーザー等)・純粋な受け手といった多層分化を実現したにとどまりました。
しかし、仮に、ツイッター上に、世の全ての情報の入り口へのアクセスが実現すれば、全ての人間は、表現に関して、平等な「入り口」を手に入れることになります。
インターネットが、最初の入り口でした。ツイッターは、第二の入り口になる可能性を秘めています。


そして、表現の自由市場が実現するということは、究極の民主主義の実現です。さまざまな批判を昇華させ、新たな民主主義のステージに移行する可能性を秘めているのだと思います。



というわけで、別にツイッターをやらなくてもいいのですが、一度も触れずにさげすんでいると、時代に置いていかれるよ。


黒船を見ずに、尊皇攘夷と叫んだ人々のように。
みんな、竜馬が好きなんでしょ?
だったら、ツイッターもやればいいのに。攘夷攘夷と叫んでないで。



ではまた。