結局、この国は、雰囲気で物事がきめられる。

朝青龍は、「品格」がなかったが故に叩き潰され*1
フロンターレは、「礼儀」を失したが故に5000万円を払わされ*2
小沢は、「説明責任」を果たしていないために失脚しようとしている*3


「品格」や「礼儀」や「説明責任」の内容は、誰がきめる?
ある人に「品格」や「礼儀」が備わっているかどうかは、誰がきめる?
「説明責任」は、どうしたら果たされる?


ウチダテには品格があるのか。横綱に品格は不可欠だけど、叩く側には不可欠ではないから、ウチダテに品格がなくても問題ないのか。オウムビデオ事件以来、冤罪への加担と稚拙な捏造を繰りかえすTBSには、「品格」があるのか。
空白の一日を巻き起こした巨人は、小林繁に対して「礼儀」を失していないのか。
捜査中であるため捜査に関する事項は説明できないと繰り返す特捜部長は、「説明責任」を果たしたのか。


決定権は誰に?





「マスコミ」。これに尽きる。マスコミが騒げば、「品格」や「礼儀」がないことになるし、マスコミが求める説明がない場合には、「説明責任」を欠くと指摘される。
しかも、恐ろしいことに、政治家や検察や裁判所は、マスコミが騒げば、追従する。



では、「マスコミ」は騒ぐか否かの基準をどこに求める?
答えは、「雰囲気」。彼らが政治的な信条を持っているとか、何かしらの陰謀たくらんでいるとか、営利的な戦略を有しているとか、考えないほうがいい。マスメディア論を踏まえず、政治・経済についての学問的経験もないまま新入社員として採用され、専門性を有しているわけではない部署に配属され、現場で耳学問で実務を学び、司法について新書レベルの理解しかない彼らが頼る基準は、同業者間に漂う「雰囲気」だけだ。


では、同業者間に漂う「雰囲気」は、どのように醸成される?
答えは、A:叩きやすい、B:嫌い、の2つの要素だけ。


では、A:叩きやすいのはどんな人?
答えは、怖い人に守られていないことと、情報や利益をくれるわけではない人と、同業者でないこと。
怖い人(右翼、やくざ)、情報や利益をくれる人(検察・警察・役人、ジャニーズ・吉本・JAL等)、同業者(マスコミ。ミニコミやフリーは除く)以外の人。


B:嫌いな人はどんな人?
答えは、生意気な人、成功した人、礼儀を知らない人、マスコミを敬わない人。
具体的には、小沢、ホリエモン朝青龍村上世彰等々。



こんな、感情的な基準で形成される「雰囲気」によって左右される社会。

ホリエモンを叩き潰してこの国の経済は停滞し、
朝青龍を叩き潰してこの国の相撲は滅び、
小沢を叩き潰してこの国の政治は暗いものになるかもしれない。


もちろん、もしかしたら、結果として、偶然よくなるかもしれない。
ホリエモンが退場して、朝青龍が追放され、小沢が引退することにより、
この国はよくなるのかもしれない。


けれども、それは偶然だ。結果を見通して行われたわけではない。そこには論理も戦略もない。雰囲気により世の中を動かし、結果については誰も責任を取らない。うまくいったら、手柄を主張し、悪くなったら政治家のせい、資本主義のせい、公務員のせい。



どうしたらいいんだろう。
私は、テレビを見ない。私は、ブログを書き、ツイッターでつぶやく。とりあえず、それしか出来ない。でも、とりあえず、そうする。そして、もう少し考えてみる。



ではまた。