幸せは澱、不幸せは傷

本当に小さな事実でも、うれしいことやおいしい食事や、人からの感謝の言葉などが少しずつ自分の心に影響を与え、それが積み重なって澱のようにたまることで、自分の幸せな気持ちは沸いてくるのだと思う。

他方で、本当に小さな事実でも、悲しいことや人の心無い暴力だとか、仕事におけるケアレスミスなどは、少しずつ自分の心に傷をつける。それが幸せの澱を吸収してしまう。

傷は、治癒されるまで、ずっと澱を食べていく。
傷が、治癒しきれないほどの後遺症となってしまうと、日々穴の開いたバケツのように、幸せの澱が奪われてしまう。膨大な幸せが舞い込んだとして、傷をふさぎきることは出来るのだろうか。
また、幸せの澱を、溜め込むことは出来るのだろうか。


ではまた。