過払い訴訟

一時期少しだけ多重債務者だったので、あの支払日が迫るのに金策が全く出来ていないときにかく冷や汗は、体に染み渡る記憶の一つとなっていて、過払い当事者には共感することが多い。

弁護士が過払い訴訟を手がけることには揶揄も多いけれど、当事者からの感謝は刑事事件と意外と似ていたりする。

過払い訴訟に至る手順はある種定型で、それに対する業者の反論もより定型で、不誠実に続く期日はあまり好きではなかった。

今日の裁判では、相手方は答弁書を出して擬制陳述だったけれど、あまりに定型なのと内容が軽薄なのとで、裁判官が初回なのに結審してくれた。

初回で、擬制で、結審して、判決をする裁判官の訴訟指揮には、もしかしたら異論もあるのかもしれないけれど、そのような異論がありうることを踏まえてなお決意した上で、小さな決意かもしれないけれど、手続を終わらせてくれた裁判官には感謝したいと思う。

全ての判断には異論がある。

異論に気づかずにする判断は害悪だけど、異論を踏まえてなおする判断は、歴史と社会を前に進める一里塚だ。両者は外形上は異なるところは無い。世の中の大事なことは、似て非なる対事象をもつ。
一緒くたにして論じると、それもなお害悪だ。

歴史と社会を進めることに意義があるのかわからないけど、進める方向が意義のある方向かわからないけど、歴史と社会を進めると自分自身が思いこんで、自分自身を進めることには多分意義があるんだと思う。

ベクトル自身は自分の向きとか長さを気にすることはできない。あと、ベクトルの向きとか長さを測定するためには升目が必要だ。


ではまた。