自信の分析

自信は大事だとよく聞くので、少し分析してみた。

自信はどこから来るかというと、大きく2つで、1つは、自分との約束を守る回数の積み重ねで、もう一つは、自己の能力・外見・性格等の評価が高いことだ。

1つめは分かりやすいが、実は大事で、どんな小さな約束でも守れば守るほど自信がつくし、破れば破るほど自分を信じられなくなる。朝おきる時間、ダイエット、仕事の納期。自信という観点からは、どれも同じくらい重要で、価値の高い約束だ。


2つめは、当たり前といえば当たり前だが、もう少し砕いて言うと、
自己の評価基準と、自己の構成要素が合致していること
であるともいえる。
これは、能力だと一番わかりやすくて、例えば、自分に人と適当に話すことが出来る能力があるとして、でも自分は適当に話すような会話を毛嫌いしていて、しっとりと落ち着いて含蓄のある言葉を紡ぐことを評価していれば、自分のことをあまり高く評価することは出来ないだろう。
または、人からはすごいねといわれる能力があったとしても、自分が大したことのないと感じている能力でも同じことで、つまりはそんなことできてもしょうもないと自分は考えているけど、そんなに多くの人ができるわけではないことが出来る場合は、人からの評価がどんなに高くても自分の評価は高まらない。それは、適当に勉強して適当に試験でいい点をとる能力とかが典型かもしれない。

これは、性格や容姿だと少しぼやけるが実は本質的には同じことで、髪がふさふさでいいよねといわれても、本人にとってどうでもいいこともある。自信があるかどうかと人のことをうらやむかどうかが裏表なのは、この点からもわかる。


さて、自己の評価基準と自己の構成要素がずれている人は、どうしてそのような評価基準を身に着けてしまったのだろうか。自分ともっとも接している人間は自分なのだから、自己の評価基準を構築する際にも、身近な評価対象たる自分を基準として構築してよさそうなものだ。自分が優れている点を、評価基準構築の際に評点を高く割り振りして、自分が優れていない点を低く割り振りすれば、常に自分を高く評価することができる。たまにこういう人がいて、とても自信家な半面、人を見下す傾向にあったりする。


子供の多くは自己評価が高い。皆、昔は自己の評価基準と自己の構成要素は大体一致していたのだと思う。これが崩れるのは、多分3つ。1つは社会的評価。社会が何を評価するかにより自己の評価基準を再構築していく。1つは、身近な人の心無い一言。自分も言わないよう気をつけようと思う。

最後に重要な点は、多分自分との約束を守る回数で、自分との約束を守らない人は、自分に対する全体的評価が下がるから、評価が下がった人間の構成要素も低く見積もるんだと思う。行動から派生する自身全体への悪評価が個別の構成要素にもフィードバックされるということだ。


なお、仕事の出来不出来とか、試験の点数とか、金を稼げるかどうかは、実はあんまり影響しないと感じている。もちろんある程度は影響するけど、それは自分との約束を守った結果が数値になるから、自分への信頼が強固になるだけであって、ある種味付けに過ぎない。本質は自分との約束のほうであって、それさえ守れていれば、そんなに点数が取れなくても、自信は構築されていくでしょう(いずれも予想をはるかに超えて低い場合は、ベースとなる能力値に対する自尊心が壊されるので、結果として自信が喪われるがこれは別の話)。

これから自信をつけたい場合は、意識的に、徹底して自分との約束を守りましょう。
そして、問題は約束を守ることであって、大きな結果を出すことではないので、守れる程度の小さな約束が重要です。


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自信をつけるために、週に1度は更新したいと思います。



ではまた。