たとえば、wwwと下ネタ

安易に使うな。
どちらも劇薬だ。

ネットにおける最大の違和感は、「笑い」に対する感覚だ。私にとって笑うという行為は、最も複雑な表現形態であって、怒り、愛、無視、さげすみ、優しさ、涙などの感情表現と比べて、多様にすぎる。
たとえば笑いが付く熟語を辞書で確認してみよう。嘲笑・失笑・艶笑・苦笑・微笑・爆笑・哄笑・朗笑など枚挙暇である。

驚くべきことに笑いの付く熟語は、どれも意味が異なる。人は、あらゆる感情とともに笑う。怒りとともに笑い、嘆きとともに笑い、喜びとともに笑い、悲しさとともに笑う。
人間は、笑う動物とさえいわれる。笑いには、人間性のすべてが込められうる。
それをたった一つの記号であらわすことは、人間を一つの記号で表そうとする営みにほかならず、つまりは他者の人間性の否定にほかならない。結局、独善の象徴なのだ。


他方、下ネタに対する違和感は、観点は別ながらwwwと共通の違和感だ。
下ネタを駆使する人間は、下ネタを使う反社会性の記号を自らに付しており、下ネタを使うほど人間的に成熟している人間だとアピールし、下ネタを愛する人間性溢れる存在だと主張し、何より下ネタを日常会話に取り入れるほどウィットに富んだ人間だと自認している。

けれども下ネタの大半は全く面白くない。下ネタさえ言っておけばおもしろいだろうと思う短絡的な人間が下ネタを多用するため下ネタの評価は下落している。実のところ、真に面白い下ネタなどほとんどないと信じる。下ネタを用いるということは、笑いのハードルを自ら2段階くらいあげることだ。その恐怖を知らずに下ネタを用いる人は、鈍感のそしりを免れない。私は、下品だからではなく、あまりに独善だからこそ、下ネタを安易に使う人間を嫌う。


ではまた。