司法修習貸与制雑感

司法修習という制度がある。

司法試験に合格しても、司法修習を経なければ原則として弁護士にはなれない。

弁護士法抜粋

(弁護士の資格)
第四条 司法修習生の修習を終えた者は、弁護士となる資格を有する。

例外もあるけれども(司法試験を合格してから7年間法務部で働いてから若干の研修を受けるとか。同法5条2項等参照)、基本的には修習に行かなければ、弁護士にはなれない。

修習期間は、昔は2年だったけど、少しずつ短くなって、今は1年とされている。1年間は、全国どこかの裁判所に配属され(身分は「公務員に準じた地位」となり最高裁に任命される)、弁護士、検察庁、民事裁判所、刑事裁判所を2ヶ月ずつ転々とし、実務を間近で学ぶこととなる。

場所は、希望を出せるが選べない。強制的に知らない土地に回されることもしばしば有る(私の友人は、婚約直後の奥さんが東京で働いていたにもかかわらず、南九州に配属された。また別の友人は、修習生同士で婚約していたにもかかわらず、山陰と九州に配属された。25歳の独身女性が旭川に飛ばされてもいた)。

修習中は、守秘義務が課され(ブログも書けない)、専念義務が課され(バイトは出来ない)、行動の自由が制限される(連休だろうと海外旅行に行くには許可が必要)。

他方で、月額20万前後の基本給と、最大2万5000円程度の家賃補助と、有る程度の交通費が支給されていた。


来年から、これらの支給がなくなる。家賃補助も交通費も出ない。
これが最近騒がれている給費制の廃止だ。生活費のない修習生は一年間どうするかというと、国からお金を借りることになる。そのときには機関保証(オリコ)をつける必要がある(なぜ奨学金制度を利用させなかったのかという重要だけど瑣末な問題については措く)。


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さて、私も修習を受けた。
希望した縁もゆかりもない地方都市だった。街は住みやすく、生活は、モラトリアムが続く、第三の青春的で、楽しかった。
はじめての一人暮らし、はじめての給料、はじめての9時5時的生活、はじめての日常的スーツ。同期は30人前後で、年齢も出身校もばらばらで、自己紹介から始まって、折に触れて飲み会がある。


30人は4つの班に分けられて、同班の7,8人でいつも一緒の研修を受ける。

私は、まず弁護士事務所で研修をうけた。毎日担当の弁護士の仕事を見学しながら、夜になると弁護士会の忘年会やら、担当弁護士の顧問先の忘年会やら、事務所の忘年会やら、修習の忘年会やら、友達との飲み会やら、ひたすら飲みに行く生活だった。担当の弁護士がとても人間的に器の大きい方で、日々楽しく過ごしていた。

刑事裁判修習では、毎日法廷を傍聴して、裁判官室で裁判官から事件について講釈を請ける。実際の裁判官の仕事ぶりを目の当たりに出来て、貴重な経験だった。また、裁判官として必須の法律の知識も学習する。講習などもある。5時になると脱兎のように裁判所を抜け出して、友達と飯を食いながらだらだら飲むか、家でひたすら本を読んでた。

民事裁判修習では、毎日事件記録を読みながら、争点を整理し、事実を認定し、結論を出す。それ以外、あんまり記憶にはない。

検察修習が、一番実務的だった。事件を配転され、法律上の争点を検討し、被疑者を呼び出して取調べを行い、調書を巻いて、上司の決裁を受けた。捜査のために、修習担当の検事に事件現場に連れて行ってもらったこともある。

毎週末、大体国内旅行に行っていた(海外旅行は許可が必要でめんどくさい)。金が足りなくて、既に働いていた友達から金を借りて、遊び倒した。ロースクール・大学時代の奨学金が1000万近くあったけど、ひたすら遊び倒した。

その後埼玉県和光市にある研修所に行き、2ヶ月間ひたすら座学を受ける。毎日毎日架空の事件の記録を渡され、毎日毎日50枚くらいのレポートを書き、添削を返され、講義を受ける。あるべき筋論と、あるべき結論を、あるべき思考法で見出すことを叩き込まれる。

そして、最後に、おそらくこの世でもっとも無意味で死ぬほどくだらない卒業試験を5日間、毎日9時から5時までぶっ続けで受け(昼飯も持参して、試験を受けながら食べる)、研修を終える。

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私は、給付を受けながら、修習を受けた。給付を受けられなかったらと思うとぞっとする。貸与制への移行は、当事者としてはとても大変だと思う。とてもひどい話だと思う。

けれども、私がぞっとするのは、
「あんなにつまらない生活を強制されながら、金すらもらえないこと」にだ。

金がもらえないことは本質ではない。修習生活の最大の問題は、つまらない生活・役に立たない研修期間を強制されることにこそあるのだ。20代のとても有意義な時期に。

もちろんつまらないというのは研修を受けることを言うのではない。もっと楽して遊びたいと言っているのではない。実務研修を受けることは有意義だし、面白いことだと思う。私がつまらないといっているのは、修習が、完全にお客さんとして生活しなければならないことにある。

弁護士事務所で働きながら、お客さんと責任を持って会話することもない。法廷に立てない。尋問はできない。弁論もさせてくれない。修習期間が2ヶ月しかなく、期間内に終わるような事件は通常ないから、まともに事件を担当することも出来ない。だから弁護士事務所としてもとりあえずお客さんとして扱う。毎日飲みに連れて行ったり、弁護士仲間に紹介したり、そういったことがもっとも重視される。実際の業務としては、記録を見せてもらい、何個か書面を書いて終わりだ。


検察修習だけは、捜査段階であれば2ヶ月で事件を終わらせることができるので、まともに事件の配転を受け、起訴なら起訴、不起訴なら不起訴まで、自分の事件として処理することも出来た。普段おとなしいやつが取調べとなる居丈高になり、司法試験で黙秘権を学んだやつらが、黙りこくる被疑者を罵倒し、取調べ後にうそつき呼ばわりする。権力の腐敗を目の当たりにすることも出来る意義深い研修だった。
けれども、これも小規模な地方都市だけのことで、東京を始めとする大規模都市では、2ヶ月でせいぜい1件か2件を処理するだけ。残りの時間はひたすら大部屋で、自習をしたり、漫画を読んだり、ゲームをしたり、昼寝をしたり、おしゃべりをしたりしてすごす。部屋に検察官はたまに来るだけ。


刑事裁判修習では、ひたすら傍聴をして単に感想を述べるだけ。手続のイメージは学ぶことができるが、裁判官席で手続を行うことはない。全く納得の行かない結論が導き出される過程を目の当たりにする。反論を述べても同僚から嘲笑されて終わる。
修習生を法廷に座らせては被告人に悪い、とか何とかいろいろ議論はあるだろう。けど、どうせ、半年たって座学研修を終えれば、裁判官となって裁判席に座るのだ。研修を終えたからといって別に「被告人に悪」くならないだけの適性を身につけたわけではない。間違いだってする。結局研修とは最初はミスをするのが当然なのだから、いつミスをするか違うだけだ。
そして、せっかく研修期間を設けているのだから、その時期にミスをしても実務家がバックアップできる態勢を整えた上で、修習生に原則として実務家と同じ権限を与えて、全てをやらせるべきなのだ。


民事裁判修習にいたっては、2ヶ月で3,4件の事件を担当するだけだから、時間が有り余る。ずっと雑談をしてすごす。毎日の楽しみは昼ごはんだけ。17時になれば、即座に帰宅していた。

すべての研修において、一度たりとも当事者意識を持たされぬまま終わる。ただ、書面の書き方だけを学ぶ。

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こんな修習に意味があるのだろうか。
おそらく裁判官・検察官にとってはある程度意味があるのだと思う。
まず、リクルートが出来る。2ヶ月間ないし1年間で適性を見て、優秀なやつを毎日勧誘することが出来る。また、最低限の実務を見せているので、いざ実務にたったときにも前提が共有されている。

けれども、弁護士にとっては全く意味がない。弁護士は、修習を終えると、一人でも法廷に立てることになる。一度も法廷にたったことのない人間が、いきなり一人で自由にたてることになるのだ。せっかくバックアップ態勢が整っている修習期間には法廷にたたせず、なんらバックアップ態勢が法的に整えられていない時期にはじめて、一人で事件を担当することになる。まともに法廷での振舞いもお客さんとのやり取りの仕方も、接見で最初に行うべき所作も、何一つカリキュラムとして学ぶことのないまま、修習を終え、いきなり弁護士として働くことになるのだ。


なぜ、こんなにも弁護士にとって実りのない研修を、弁護士会が必死になって擁護するのだろうか。

戦前、弁護士は裁判官や検察官より、一段も二段も下の地位であった。
社会的地位、両者と同等にもっていくことが弁護士会の悲願となり、弁護士志望のものも国費で修習させることは弁護士にとって何よりも大切なものであったといわれている。
けれども、社会的地位というのは、育った弁護士がどのような仕事をするかによって決まるものであって、修習システムなんかで決まるものではない。
修習システムに組み込まれることを以って社会的地位の維持を言うなんて、官至上主義の裏返しだ。在野魂はどこにいった。
むしろ今回の貸与反対運動で弁護士会が展開している理論は、きわめてお粗末で、高飛車で、利己的で、社会的地位を低下させる一助となっていると思う(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20101021)。


また、せっかく修習を1年も強制しているのに、どうしてこんなに役に立たないカリキュラムなんだろう。研修というのは、一人前にするためのものだ。今、1年間修習を義務付けることで、法曹として一人前にしているとは到底いえない。


このようなことを述べると、法曹実務は1年程度じゃ身につかない、最低3年は必要だ、とか何とかしたり顔で述べる実務家がいるが、だとしたらそれに対応した制度を構築するべきだし、何よりあんなにのんびりとして効果の薄い研修としている意味が全く分からない。


最低3年必要なら、むしろ最初の一年は死に物狂いで、毎日徹夜しなければくらいついていけないくらいのカリキュラムとするべきだろう。実際、完全未修者にとってのロー生活一年目はそうだったし、修習を卒業して実務家になるとまさにそのような生活が待っている。それなのに修習ではそのような生活を修習生に課していない。最低必要な3年の1年分にすらなっていない。それならやめるべきだ。若人の貴重な1年間を奪うべきではない。せめて選択制にすればいい。

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以上のとおり、かなり殴り書きとなりました。もっと整理してから書こうと思いながら、ひと月以上経ってしまいましたので、思うまま気の向くまま書きました。

結局のところ、私は弁護士志望の者に修習を義務付けながら、金を支払わないことに反対です。けれども、だから、修習期間中には給与が支給されるべきだという議論は、まったく説得的でないと思います。あんなに実りのない、無意味な研修を、国費で義務付けることは、税金の面でも若人の時間の面でもとてもマイナスの多い制度だと思います。プラスの面があることは否定しません。私自身も楽しく過ごしました。けれどもマイナスが大きすぎると思います。

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私は、弁護士になるに当たり、修習義務をはずすべきだと思います。つまりは弁護士法4条を廃止するか、改正して選択制にするべきだと思います。選択制にするときには、修習は5年間で4つの修習を取得すればよい、という制度にすべきだと思います。車の免許みたいに、仕事の合間を縫って、2ヶ月間実務研修に出るのです。しっかりと実務にどっぷりつかって、例えば裁判官としてある程度の素養を見につけてから、2ヶ月弁護士になり、検察官になるとすれば、どんなに吸収することが多いことでしょう。弁護士、検察官でも同じです。そのほうがよっぽど有意義です。
(ただ、おそらくこれは許されないでしょう。検察庁が、一度弁護士となった人間を受け入れるとは思えないからです。彼らは、無垢な修習生なら受け入れますが、一度弁護士を2年やったような人間を受け入れはしないでしょう)。


いずれせによ議論すべきはよりよい研修システムであって、現在の修習制度を維持しながら給費か貸与かなどという小さな議論ではないはずです。



ではまた。